【歴史地図】ウクライナ国歌 「そうコサックの子孫であることを」これがウクライナの強さの原点

ウクライナ国歌の歌詞(抜粋)

ウクライナ国歌「ウクライナは滅びず」の歌詞をみると、まさに今の状況にあてはまる内容です。
抜粋すると

我らは認めぬ他者による支配を魂と身体を捧げよう
我らの自由のためにウクライナの名声と栄光は
すべての国に知られるのだそして示そう
我らがコサックの子孫であることを!

この歌詞は、1917年に初めてウクライナの独立がかなった国「ウクライナ国民共和国」が成立した時のものです。
この時から、100年以上たった今も歌詞がそのままいきている、ウクライナの歴史は独立への戦いの歴史であることがよくわかります。

コサックの子孫

「我らがコサックの子孫」とあります。
このコサックとはなんなのでしょうか。

コサック=ウクライナ

コサックは水資源や土壌が豊かなドニエプル川周辺で暮らし、外敵から生活を守った武装集団です。

16世紀、ドニエプル川周辺を中心とした地域はポーランド・リトアニア連合国の支配下にありました。
また、東側からはタタール人からの襲撃も繰り返されていました。

ドニエプル川周辺の住民は、タタールから自分たちの生活圏を守ろうと武装するようになりました。
そして、武装した住民は逆にタタールを襲撃するようになり、この武装集団が「コサック」とよばれるようになったのです。
コサックの意味ははっきりしておらず「盗賊」「自由人」などの意味があるとされています。
コサックには、ドニエプル川周辺住民のみならずポーランドやモルドバ、トルコから流入した人々もいます。

オスマン帝国のスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック(イリヤ・レーピン、1880年)

そしてコサックが力をつけるようになるとコサックがいる地帯を「ウクライナ」とよぶようになったのです。

「ウクライナ」の意味は「辺境地帯」とされていましたが、これはロシア側からのみかたで、現在はウクライナ側からすると「土地・国」だとされています。

武装集団から国へ

武装集団コサックのリーダーは「ヘトマン」といいます。
コサックの地は、ヘトマンを中心にしてポーランド・リトアニア連合からの独立をめざすようになります。

ポーランドからの独立にあたって、特筆すべきヘトマンが2人います。
フメリニツキーとマゼッパです。

フメリニツキー


17世紀、フメリニツキーは「敵の敵は味方」の考え方で、タタール人と組んでポーランドと戦いました。
コサック・タタール連合軍は強く、有利な条件で休戦協定を結ぶことに成功しました。

これにより、ウクライナの地からポーランド軍を排除した「ヘトマン国家(コサック国家)」が誕生しました。

ところが、その後もポーランドとの戦いは再燃しフメリニツキーは周囲の国との協力を模索するもののまとまりませんでした。
そこで、浮上したのがモスクワです。
フメルニツキーはモスクワに保護をもとめ協定を結びました。

ところが、その2年後、モスクワはポーランドと手を組みヘトマン国家は両国に分割されてしまうのです。

ポーランド側のヘトマン国家は消滅させられましたが、モスクワ側のヘトマン国家は存在し続けます。

マゼッパ

マゼッパはモスクワ側ヘトマン国家のヘトマンです。
ウクライナの英雄で10フリヴニャ紙幣にもなっています。

文鉄・お札とコインの資料館ウェブサイトより引用。

マゼッパは当初ロシアとうまくやっていましたが、ポーランドの支配をめざすスウェーデンがロシアに勝利したことを機会にスウェーデンと組みます。

そして、マゼッパはモスクワからの独立をめざし、スウェーデンと連合を組み、モスクワと戦いました。
これを「ポルタヴァの戦い」といいます。

結果は、モスクワの勝利。
これ以降、ヘトマン国家は衰弱し、ウクライナ独立はかなわなかったのです。

この後、モスクワは「キエフ・ルーシ」の「ルーシ」をとってラテン語読みの「ロシア」を国名とするようになりました。
ルーシはキエフ・ルーシ成立以前にこの地に北欧から移住してきたヴァイキングが自分たちをさしていったことばです。

ウクライナが最初の独立をかなえるのは1917年です。

ウクライナ国歌「ウクライナは滅びず」 歌詞(全)

ウクライナはいまだ滅びず
その栄光も自由も
同胞よ 運命は
我らに再び微笑むだろう
我らの敵は
太陽の下の露のごとく消え
我らは国を治めよう
我らの地で
魂と身体を捧げよう
我らの自由のためにそして示そう
我らがコサックの子孫であることを!

同胞よ戦場であろうとも
我らは立とう サン川からドン川まで
我らは認めぬ
他者による支配を

黒海は微笑み
父なるドニエプル川は歓喜に満ちる

ウクライナでの
幸運の再来に
魂と身体を捧げよう
我らの自由のために

そして示そう
我らがコサックの子孫であることを!

我らの忍耐と
誠実なる努力は報われ
自由の歌は
ウクライナの地に響き渡る

その歌はカルパチア山脈に反響し
草原にも鳴り響く
ウクライナの名声と栄光は
すべての国に知られるのだ

魂と身体を捧げよう
我らの自由のために

そして示そう
我らがコサックの子孫であることを!

ウクライナ応援シリーズ

チャイコフスキー交響曲第2番『小ロシア』改め交響曲第2番『ウクライナ』とします。

ムソルグスキー作曲『展覧会の絵』の「キエフの大門」はウクライナの元祖キエフ・ルーシ国王が建設した。

ボロディン作曲『韃靼人(だったんじん)の踊り』もウクライナ由来。

チャイコフスキー作曲のオペラ『マゼッパ』はウクライナの英雄

ベートーベンのパトロン、ラズモフスキーはコサックのリーダー=ヘトマンの息子

日本生まれの国際NGO AAR Japan[難民を助ける会]はウクライナ避難民の方々支援のための寄付を募っています

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