【歴史地図】クリミア戦争 オスマン帝国vsロシア ロシア黒海沿岸の拠点を失う


クリミア半島といえばクリミア戦争です。
ナイチンゲールが兵士を看護したことでも有名です。

どういった戦争だったのでしょうか。
わかりやすくまとめました。

Ⅰ どこvsどこ?

オスマン帝国 vs ロシア
のちに、イギリス、フランスなどが加わってきます。

Ⅱ ねらいは?

オスマン帝国領内のボスポラス海峡、ダーダネルス海峡の争奪戦

Ⅲ ざっくり概要

シリアをめぐりオスマン帝国とエジプトが戦争したことがとっかかりです。
クリミア半島が戦場になって、ロシア、イギリス、フランスなどがからんだ戦争となります
結果は、ロシアが敗北しボスポラス海峡、ダーダネルス海峡の独占的通行権を失い、ドナウ河口周辺も失いました。

Ⅳ 経緯

1 オスマン帝国 vsエジプト戦争

・オスマン帝国はエジプトと戦っていました(1831年)。シリア領有の争いです。
・オスマン帝国はロシアに支援を求め、ロシアはこれを引き受けます。
・オスマン帝国はイギリス、フランスの介入でシリアを領有に失敗します。
ここでロシアと密約をかわしました。
・ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡の通行権をロシアに独占的に認める というものです。

2 第2次オスマン帝国 vsエジプト戦争

・オスマン帝国とエジプトの戦争が再燃します(1839年)。
・ロシアはオスマン帝国に味方し、ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡を使いたいイギリスなども参戦します。
[オスマン帝国、ロシア、イギリス、オーストリア、プロイセン]vs[エジプト] ・オスマン帝国側が勝利します。
・そして、ロシア、イギリス、オーストリア、プロイセン、フランスが海峡協定を結ぶことになり、ロシアのボスポラス海峡、ダーダネルス海峡の通行権は破棄させられてしまいます。

3 クリミア戦争 オスマン帝国 vsロシア

・ロシアはオスマン帝国に戦いをしかけます(1853年)。
[オスマン帝国、イギリス、フランス]vs [ロシア] の戦いになります。
・オスマン帝国同盟軍はロシアの軍事拠点セバストポリを攻撃し、クリミア半島が主戦場になります。

セバストポリ包囲戦

ここにイギリス人のナイチンゲールが従軍していたのです。

看護師として戦傷兵を見舞うナイチンゲール

・結果はオスマン帝国同盟軍の勝利。
ロシアはドナウ川河口周辺の領土を失い。

黒海に艦隊を持つことを禁止されました。
ロシアはクリミア戦争によって、一度は手に入れた黒海沿岸の拠点をすべて失うこととなったのです。

ウクライナ応援シリーズ

チャイコフスキー交響曲第2番『小ロシア』改め交響曲第2番『ウクライナ』とします。

ムソルグスキー作曲『展覧会の絵』の「キエフの大門」はウクライナの元祖キエフ・ルーシ国王が建設した。

ボロディン作曲『韃靼人(だったんじん)の踊り』もウクライナ由来。

チャイコフスキー作曲のオペラ『マゼッパ』はウクライナの英雄

ベートーベンのパトロン、ラズモフスキーはコサックのリーダー=ヘトマンの息子

日本生まれの国際NGO AAR Japan[難民を助ける会]はウクライナ避難民の方々支援のための寄付を募っています

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