フィンランドNATO加盟申請。積極的中立主義にいたったわけ。「2月宣言」、冬戦争、第2次世界大戦をこえて
フィンランドは、もとはスウェーデンの一地域であり、隣接のロシア、ドイツにはさまれ翻弄され続けた歴史をもっています。
現在の国境は第2次世界大戦後に確定されたものです。
目次
1 「フィンランド」誕生期
スウェーデンの統治下
フィンランドは12世紀頃から実質的にスウェーデンの統治下に置かれていたといわれています。
その頃ロシアの元祖であるキエフ・ルーシ大公国は諸侯乱立の時代でした。
「フィンランド」に
1323年、スウェーデンとルーシのノヴゴロドの間で平和条約が締結された際、正式にスウェーデン王国に編入されました。
そして「フィンランド」の呼称でよばれるようになりました。
2 スウェーデンvs ロシアに巻き込まれ期
スウェーデン、勢力を拡大するロシアと戦う。
17世紀スウェーデンは勢力拡大をねらい、ロシア、ポーランド、デンマークと戦いました。
「大いなる怒り」の時代
ロシアとの戦いは断続的に繰り返され、1713年、ロシアはフィンランドの主要都市を占領しました。
この時代は「大いなる怒り」の時代とよばれています。
その後もフィンランドは国境の変更を強いられる時期が続きました。
3 フィンランド、ロシアに引き渡され期
スウェーデンとロシア講和
1800年の初め、世界はナポレオン戦争のさなかにありました。
その末期の1809年、スウェーデンとロシアは講和を結びます。
これによりフィンランドはロシアに引き渡され、ロシア帝国下の大公国となりました。
ロシア融和策をとる
ロシアは当初、フィンランドがスウェーデンと組んでロシアに敵対しないよう、フィンランドの自治を認め、以前奪った地域を返還するなど優遇政策をとりました。
また、フィンランドで経済活動も自由化され、工業化が進みました。
ロシア化を強要
1871年、ヨーロッパではドイツ帝国が成立しました。
ロシアはこれに警戒感を強めます。
ロシアはフィンランドを防波堤にしようと、これまでの融和策を一転、「ロシア化」を強要するようになりました。
もっとも悪名高い制度が「2月宣言」です。
「2月宣言」は1889年にロシアが発令したもので、ロシア語の公用化、ロシア帝国への徴兵、軍事制度の改革などフィンランド国会を無視するものでした。
女性はフィンランドを表し、双頭の鷲はロシア、女性が持っていて奪われそうになっているのが法(自治)。ロシア化に対するフィンランド人の心情が表現されている
これに対しては、フィンランドは大規模な抵抗を行います。
強い抵抗を受け、ロシアは1905年に「2月宣言」を撤回します。
この間の1899年に作曲されて有名な曲に『フィンランディア』があります。
『フィンランディア』はフィンランドの作曲家シベリウスが愛国歴史劇『歴史的情景』の終曲として書いたものです。
その後『交響詩<フィンランディア>』として独立した曲にしました。
4 フィンランド独立期 ロシアの圧力にドイツに傾く
ロシア革命
1917年、ロシアで革命が起こりました。
この混乱をきっかけに、フィンランドは1917年11月6日、独立を宣言しました。
ロシアでは1922年、ロシアに替わりソビエト社会主義共和国連邦が成立しました。
ナチス・ドイツの拡大 第2次世界大戦勃発
ドイツではナチス・ドイツが政権を握り、領土拡大に向けて軍事侵攻を開始しました。
1939年9月にポーランドに侵攻し、これにより第2次世界大戦が勃発します。
ソ連、フィンランドに領土、基地を要求
ロシアは、ドイツの攻勢に危機感を強めてかあるいは混乱に乗じてか、フィンランドに領土割譲、基地の租借を要求しました。
フィンランドはこれを拒否しました。
冬戦争
ソ連は1939年11月、フィンランドに侵入しました。
フィンランドは戦いますが、防衛能力の限界を認識し、1940年3月無念の講和を結びました。
講和の内容は、領土の十分の一の割譲などフィンランドにとって厳しいものでした。
フィンランド―ドイツとの連携
ドイツは、ソ連の進撃をにらみ、フィンランドに接近します。
ドイツはフィンランドに軍隊の領内の通過を求め、フィンランドはこれを了承しました。
ドイツ軍の通過はソ連への牽制になると考えたのです。
バルバロッサ作戦
ドイツは不可侵条約を破りソ連に侵入しました。
バルバロッサ作戦です。
フィンランドはドイツに(枢軸国として)積極的に加わることはしませんでしたが、ソ連がフィンランドに空爆してきたのを機に冬戦争で失われた領土を奪還する戦いに挑みました。これは「継続戦争」とよばれます。
フィンランドは劣勢でしたが、ドイツの膨大な武器援助を得て、ソ連の侵攻を食い止め、1944年9月ソ連と休戦協定を締結しました。
5 中立期 国際社会への復帰く
ソ連への賠償
第2次世界大戦でドイツは敗れました。
フィンランドはソ連との休戦協定により3億ドルの戦争賠償支払い、十分の一の領土割譲など厳しい義務を負うことになりました。
フィンランドは連合国との講和条約に調印し、国際社会へ復帰しました。
冷戦期 積極的中立主義へ
1991年、ソ連が崩壊しました。
フィンランドはこれまでのソ連との友好条約は破棄し、1992年に軍事的条約を盛り込まない条約にロシアと調印しました。
一方、西側への関与の姿勢も示し、1995年ECへの加盟を果たしました。
西側の軍事同盟NATOへの参加については、NATOの勢力拡大に懸念をもつロシアを刺激しないよう、非加盟の立場をとりました。
ただ、NATOとは個別に「平和のためのパートナーシップ協定」を結び協力体制を構築しました。
NATO加盟申請 ウクライナ侵攻をうけ
2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻しました。
中立の姿勢で、ロシアとヨーロッパの架け橋的な役割を果たしてきたフィンランドですが、さすがに危機感を強め2022年5月12日、NATO加盟申請を表明しました。
スウェーデンも加盟に向けた動きを加速させています。