ウクライナの国章「三叉の鉾」。ウクライナの独立の意思が込められている
目次
マークは国章
ゼレンスキー大統領が演台で演説する際、演台と背景にあしらわれているマークはウクライナの国章です。
これは鉾を表しています。
穂先が3つあり「三叉の鉾」とよばれます。
このマークには「ウクライナ独立」の強い意志がこめられています。
「三叉の鉾」の起源まとめ
ウクライナ独立の歴史
ウクライナが現在の独立国になるまでに、ポイントとなる時が4つあります。
ポイント | 年 | 国名 | 特徴 |
---|---|---|---|
① | 1991~ | ウクライナ | 現在 |
↑ | |||
② | 1922-1991 | ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 | ソ連の影響下 |
↑ | |||
③ | 1917~(1920)年 | ウクライナ国民共和国 | 初の独立国家 |
↑ | |||
④ | 880~1054年 | キエフ・ルーシ | ウクライナとロシアの元祖 |
それぞれの時代の国章、国旗はつぎのとおりです。
ポイント | 年 | 国名 | 特徴 |
---|---|---|---|
① | 1991~ | ウクライナ | 現在 |
国章 | 国旗 | ||
↑ | |||
② | 1922-1991 | ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 | ソ連の影響下 |
国章 | 国旗 | ||
↑ | |||
③ | 1917~(1920)年 | ウクライナ国民共和国 | 初の独立国家 |
国章 | 国旗 |
つまり「三叉の鉾」は③の「ウクライナ国民共和国」のときのものと同じです。
国章の他、国旗、国歌「ウクライナはいまだ死なず」も同様です。
ウクライナの国歌
以上のことから、現在のウクライナは「ソ連(ロシア)からの影響下からは離れて、ウクライナ国民共和国に戻った」という認識がみてとれます。
「ウクライナ国民共和国」は、ロシア帝国の支配下におかれていたウクライナが、ロシア革命の混乱時に勝ち取った独立国です。
「三叉の鉾」の由来
「三叉の鉾」の由来は④キエフ・ルーシの時代にさかのぼります。
キエフ・ルーシは9世紀から力を強め、10-11世紀にヨーロッパ最大にまで拡大します。この時の国王がウラジーミル聖公です。
「三叉の鉾」はウラジーミル聖公時代の金貨にあしらわれていた紋章です。
つまり、ゼレンスキー大統領を囲む紋章は
「われわれは(旧ウクライナ・ソビエト社会主義共和国ではなく)ウクライナ国民共和国を継承している国であり、そもそもキエフが首都でモスクワは1地方であったキエフ・ルーシを元祖とするものである」という意思を示しているのです。
キエフルーシ最大版図
ウクライナ応援シリーズ
ウクライナの歴史とクラシック音楽。ウクライナに関連する交響曲は多くあります。チャイコフスキー交響曲第2番『小ロシア』の小ロシアはロシア側からみたウクライナの呼称。辺境の意味がある。ウクライナはたんに「土地」の意味だとしている。
ウクライナの首都キエフは、歴史的にロシアの発祥です。キエフが重要な都市であったことは、作曲家がテーマにとりあげていることでわかります。その1つに。ムソルグスキー作曲『展覧会の絵』の1場面「キエフの大門」があります。ウクライナの賢公が設けた門です。
チャイコフスキー作曲のオペラ『マゼッパ』の主人公マゼッパは、ウクライナの独立をめざすコサックの指導者です。コサックはウクライナの地を外敵から守るために結成された自警団。コサックの地をウクライナとよぶようになりました。