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香港のデモはなぜ起こっているのか

何に対しての抗議なのか

香港では2019年6月から抗議運動が展開されていて、香港のデモ隊とそれを排除しようとする警察の衝突が続いています。
なぜこのような事態になっているのか、香港の歴史的特性も含めてまとめます。

デモのきっかけ

香港でデモが起こったのは、香港政府が立法会(日本の国会にあたる)に「逃亡犯条例の改正案」を提出したことがきっかけです。
逃亡犯条例は、外国で犯罪を犯した人が香港に逃亡してきた際、その犯人を犯罪を犯した国に引き渡すことができるという条例です。
ただ、この条例が効力を持つのは協定を締結している国に限られていて現在アメリカなど20カ国だけです。
20カ国の中に中国は入っていません。

今回出された改正案は、協定を締結していない国・地域にも要請があれば引き渡しを可能にするものです。
そうなると、中国にも犯人を引き渡す必要が生じてきます。

これの何が問題なのでしょうか。

もちろん、犯人が殺人や窃盗などの罪の場合はそれも問題ないわけですが、罪というのはいかようにも作られる場合があります。
香港で中国に批判的な活動をしたら、それが中国で罪と認定されて中国に連行されて裁かれてしまう可能性が出てきたのです。

実際、これまでも中国政府の影響が強く出る出来事が起こっていました。

これまでの主な中国政府との軋轢

「銅鑼湾書店」拘束事件

2015年には中国政府に批判的な本を扱っていた「銅鑼湾書店」の店長らが中国に私用で行った際、連行されて8カ月間拘束されるという事件がありました。
拘束したのが中国政府トップだったのか役人なのか不明な点はあるものの、香港の人々は反中国的な活動をすると同様なことが起こる危険性を感じています。

行政長官選出の選挙制度の改革案決定

2014年には香港の行政長官(日本の総理大臣)を選ぶ選挙制度改革をめぐって中国政府寄り派と反対派が対立しました。

香港の行政長官は、選挙委員の投票で過半数を獲得した候補者が中国政府に任命されます。
選挙委員は産業界などの代表や議員(定数1200人)で親中団体に限られています。
また、立候補者も中国政府の同意が必要となっています。

2014年8月、中国政府はさらに中国政府の意向を強める改革案を決定しました。
立候補者も事実上親中派の人しかできないようにするものでした。

これに学生らが反発し、真の普通選挙を求めて授業のボイコットやデモで抗議活動を行ったのです。
鎮圧するために警察が放った催涙弾をよけるために学生らが傘を盾にして対抗したことから「雨傘革命」とよばれます。

この結果、中国政府の改革案は立法会で否決され実現には至りませんでしたが、結局は親中派の林鄭月娥氏が当選し、中国政府の意向が強まりました。

中国愛国教育の導入問題

2011年、香港政府は義務教育に中国政府に対する愛国心を育成するカリキュラムを導入しようとしました。
しかし、これにたいし学生らが強く反発、カリキュラム導入は実現しませんでした。

このようなことを背景に、今回のデモでも「五つの要求」として反対派が主張しているのが次の項目です。

五つの要求

1. 改正案の完全撤回
2. 警察と政府の、市民活動を「暴動」とする見解の撤回
3. デモ参加者の逮捕、起訴の中止
4. 警察の暴力的制圧の責任追及と外部調査実施
5. 林鄭月娥の辞任と民主的選挙の実現

このうち「1.逃亡犯条例の改正案の完全撤回」については2019年9月4日撤回されました。
残るは2.3.4.5.です。
どれも民主主義国家であれば当然の項目です。

香港ではわざわざデモを行わないとこれらの項目を守ることができない、つまり民主化されていない状況にあるということです。

香港は特別行政区

香港は国ではなく、中国の一地域です。
ですが、香港は120年以上中国とは切り離されて発展をしてきました。
現在も中国でありながら、本土とは別の制度で運営されている、自由とそして「高度な自治」が保障されている特別行政区です。

その香港独自の存在が巨大中国に飲み込まれこれまでの生活が変えられようとしていることに、香港の人々は強い不安をもっているのです。

香港人の大半は自分を中国人とは思っていないという調査結果があります。
香港大学の調査では自分は中国人だと答えたのは一般で15%、18~29歳で3%だということです。

民族的には中国人である香港人がこのような認識を持っているのは香港がイギリスの植民地だったことによります。

イギリスの植民地になった一番初めが1842年、中国に返還されたのは1997年です。
その間1941年~45年は日本が占領していました。

香港とイギリス

香港は三つの段階を踏んで徐々にイギリスの支配下になっていきます。
最初は香港島、次に九龍半島、そして新界地区です。

イギリスの香港獲得

香港島、イギリスへ割譲

香港とイギリスの関係は中国がまだ清だった時代に始まります。

イギリスでは17世紀から東インド会社がアジアに進出し貿易を行い、また深入りして植民地政策を担うなど影響力を拡大していました。

イギリスはインド産のアヘンを清へ輸出して利益を得ていました。
清ではアヘンが蔓延しアヘン中毒者が増大したことで、清政府は危機感を強めアヘンの取り締まりに動きました。
イギリスとの貿易をアヘンだけでなくそれ以外も一切禁止する方針をとったのです。

イギリスはこれを不服として武力で自由貿易を求め戦争を起こしました。
1840年、アヘン戦争です。


アヘン戦争はイギリスが勝利しました。
その時にイギリスが獲得したのが、上海などの港5港の開港、賠償金など、そして香港島です。
1842年の南京条約です。

九龍半島先端部割譲

イギリスは南京条約での自由貿易では不十分と考えていました。
また、清では南京条約以降、外国人排斥運動が盛んになっていました。
この状況下、イギリス領の香港船籍のアロー号に海賊の疑いがあるとして、清朝官憲が船員を逮捕しました。

これを口実にしてイギリスは同じように清への進出を狙っていたフランスと組んで清と再び戦争を起こしました。
ここでもイギリス、フランスが勝利しました。
天津の開港、賠償金、そしてイギリスは九龍半島先端部を獲得しました。

新界地区租借

清は大国でしたが、近代化が遅れていてヨーロッパの強国の圧力で徐々に弱体化していました。
1842年の南京条約後、開港した土地に清から租借するという形で外国人居留地が置かれるようになりました。
イギリス、アメリカ、フランスなどです。
外国人居留地は租界とよばれ、銀行や商館が建てられ発展していきました。

1894年清は日本と朝鮮半島の権益をめぐって戦争しました。
日清戦争です。


この戦争は日本が勝利しました。

この頃になると清の弱体化が進み外国勢はやりたい放題の状態になり、ドイツは膠州湾を租借、フランスは広州湾を租借、そしてイギリスは1898年に新界を租借することに成功したのです。


租借には期限があります。
その期限は「99年間」とされました。
ドイツの膠州湾、フランスの広州湾も99年間でした。
99年後は1997年です。

99という数字は中国語で「久久」と表され、「久久」は永久の意味があります。
「長く長く、永遠に」と迫る外国勢にたいし「これが最長。中国では永久なの!」と追い詰められる中国の交渉者の様子が感じられます。

香港、中国へ

日本の占領

イギリスが割譲・租借していた香港ですが、1941年太平洋戦争が勃発すると日本が占領しました。

これにてイギリスの統治は終了しました。

太平洋戦争中、清の後に成立した中華民国はイギリスに香港を返すよう要求していました。

イギリスの再占領

ところがイギリスは耳を貸さず、1945年日本が敗戦するといちはやく再占領しました。

この頃、中国は二つの勢力で分裂していました。
清の後に成立した中華民国と1949年に成立した新興勢力の中華人民共和国です。

イギリスは中華人民共和国のほうを国として他国に先駆けて承認しました。
中華人民共和国もイギリスとの良好な関係を結んで外貨収入を得ようと考え、香港について現状維持の姿勢をとりました。

香港の繁栄

香港には中国からも資本家や労働力が入ってきて、繊維産業など加工貿易が盛んになり経済が発展していきました。

また、1970年代になると香港は西側諸国と中国との貿易の中継地点の役割ももちました。
西側諸国と中国は直接貿易をするルートが確立していなかったのです。
これによって香港はますます栄えていきました。

また、銀行、証券取引所、外国為替市場など金融業も活発に行われ、世界有数の国際金融センターの地位も確立しました。

中国への返還の決定

中国で1978年に経済の政策が大きく転換されるできごとがありました。
これまでは国内で全員一丸となって国力を増強する方針でしたが、鄧小平が改革開放政策を打ち出したのです。
これにより西側と同様な市場経済政策を進めていくことになりました。
そして香港と中国のつながりは飛躍的に深くなっていきました。

香港が発展すると、約束されていた99年後=1997年以降の香港をどうするのかについての検討が始まり、1982年にイギリスのサッチャー首相が中国を訪問して交渉が始まりました。


香港との結びつきが強くなった中国は香港絶対奪取の姿勢でいました。
またこの頃になると中国の軍事力も強くなっていて、香港の中国への返還交渉に臨んだ鄧小平は「中国はその日のうちに香港に入り、占領することもできる」と脅しともとれる発言をしたといいます。

一方イギリスは香港を手放した際のマイナス面が以外と小さいということもあり、1984年、香港からの完全撤退に同意し、割譲していた香港島、九龍半島先端部も含め中国へ一括返還されることが決定したのです。

一国二制度方式

香港基本法

香港は、イギリスの植民地という重しがとれ、中国人になれた! と喜んだかというとそうでもありませんでした。
香港では政治的に民主化には至っていなかったものの、1950年代からすでにイギリスから自立し始めていて、イギリスも宗主国としてのふるまいをしてきませんでした。
経済的にも市場主義経済のもと西欧的な環境で暮らしも豊かでした。
一方、この頃の中国は共産党一党独裁体制で経済成長もこれからという状況でしたので、香港人が今のままがよいと考えるのは当然のことです。

中国に返還されるといって、翌日から中国的な生活様式に変換するのは不可能です。

そういった事情を鑑み移行期の方針が香港基本法で定められました。

国は中国なのだが、制度は中国とは別の「香港基本法」に基づくという「一国二制度」です。
香港基本法には下記のようなことが定められています。

・高度な自治権を有する。
・権利と自由を保障する。
・社会主義制度と政策を実施せず、現行の資本主義制度と生活方式を50年間維持する。
・私有財産を保護する。
・英語も公用語とする。
・中国国旗のほか、香港特別行政区の区旗を使用することができる。
・香港住民は、言論、報道および出版の自由、結社、集会、行進およびデモンストレーションの自由、ならびに労働組合を組織しこれに参加し、ストライキを行う権利および自由を享有する。
・香港住民は、任意または非合法に逮捕、拘留、監禁されない。任意または非合法な住民の身体検査および住民の人身の自由のはく奪または制限を禁止する。住民にたいする酷刑および任意または非合法な住民の生命のはく奪を禁止する。
・香港住民の通信の自由および通信の秘密は法律の保護を受ける。公共の安全および刑事犯罪捜査に必要なため関係機関が法律手続きに照らして通信の検査をするほか、いかなる部門または個人も、いかなる理由をもってしても住民の通信の自由および通信の秘密を侵してはならない。
・香港住民は、学術研究、文学・芸術の創作およびその他の文化活動を行う自由を有する。他。
1997年7月1日から施行。


言語については、香港人が使用する言語は中国語と英語です。
香港の言語は中国語のうち広東語です。中国の首都北京ではなされる標準語は北京語です。
北京語と広東語はかなり違いがあり、また中国の公用語は中国語だけです。

デモは認められている

上記のように、香港住民の言論、報道および出版の自由、結社、集会、行進およびデモンストレーションは認められています。
また「非合法に逮捕、拘留、監禁されない。任意または非合法な住民の身体検査および住民の人身の自由のはく奪または制限を禁止する。」ともあります。

今回のデモはデモ自体が認められなかったり、拘留された人がいることが報道されています。
香港基本法に抵触しているように見えます。

「香港に栄光あれ」

こんな中、香港の20代男性がインターネット上で発表して以降、抗議活動を象徴する歌として各地で歌われるようになった歌が注目されています。

「香港に栄光あれ」
必聴・必見です。

こちらも。

なぜ 涙が止まらないの
なぜ 怒りに震えるの
頭を上げ 沈黙を破り叫べ
自由よ ここに舞い戻れ
なぜ 恐怖は消えないの
なぜ 信じて諦めないの
なぜ 血を流しても邁進を続けるの
自由で輝く香港のために星も見えない暗い夜に
霧のはるか向こうから 聞こえてくる角笛
自由のためにここに集え 全力で戦え
勇気と叡智は永久に不滅
夜明けだ 取り戻せ わが香港を
皆正義のため 今 革命を!
どうか 民主と自由が永遠であれ
香港に栄光あれ香港に栄光あれ。

人の心は制度では変えられない

香港基本法が資本主義制度と生活方式を50年維持すると定めたのが1997年。50年後は2047年です。

今年はその22年後、半分少し前といった時点です。
現在では、貿易も中国と直接取引ができていますし、国際金融センターも上海の役割が上昇してきていて、香港の経済的な優位性は薄まってくるなどの変化はめざましいものがあります。ですが、人の心を制度で変えることはできません。

現在、中国のGDPはアメリカに次いで世界第2位(3位日本、35位香港)ですが、一人当たりGDPは72位(1位ルクセンブルク、17位香港、26位日本)です。

あと28年後、香港の人々が「中国とだったら一緒になってもいい」と思えるような、自由で豊かな中国になっていれば問題ないわけです。

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