【歴史地図】クリミア半島の地政学。ロシアがこだわる理由


クリミア半島は現在ウクライナの領土です。
ですが、ロシアはここを「クリミア共和国」というロシアの一部だとしています。
2014年に併合したのです。
なぜ、こんなことになったのか。
クリミア半島の位置的特徴、歴史的経緯、ロシアがこだわる理由についてまとめました。

クリミア半島の位置的特徴

クリミア半島はロシアにとって港として有益な場所です。
ロシアは広大な国ですが、海に面している海岸線が意外に少ないのです。
東の海には出ていきやすいですが、北は北極海で氷によって通航しづらく、南と西は他国が”壁”になっています。西の海に面している地点は、3つ。①サンクトペテルブルク、②カリーニングラード、③黒海沿岸です。
黒海沿岸の半島であるクリミア半島は港として最適なのです。

一方、周辺の国々にとっては「玄関に他人が入ってくる」くらい絶対にわたしてはならないポイントなのです。

またクリミア半島は気候も温暖で保養地としても人気が高く、半島の先端のヤルタは「ヤルタ会議」が開かれた場所でもあります。

クリミア半島をめぐる歴史的経緯

オスマン帝国からロシアへ割譲

クリミア半島は、露土戦争(1792年)でロシアが勝利し、オスマン帝国から割譲されました。

1774年のロシア・トルコ戦争で決まった領土(キュチュク・カイナルジ条約)

1792年のロシア・トルコ戦争で決まった領土(ヤッシーの講和)

フルシチョフが急にウクライナへ譲渡

その後ソ連の時代もロシア(ソ連)の領土でしたが、1954年、急にソ連の最高指導者フルシチョフが「ウクライナにあげる」といい、ウクライナに移管されました。

フルシチョフ

フルシチョフはなぜそのような行動に出たのでしょうか。
これについて、黒川祐次『物語ウクライナの歴史』では次のように書かれています。

・ソ連の権力闘争でフルシチョフをウクライナ共産党が最初に支持した。
そのため、ウクライナ共産党第1書記にはウクライナ人を登用。
・ウクライナへの懐柔策。
・クリミアの人口の70%はロシア人なので、ウクライナのロシア人人口率を高めるため。
・当時フルシチョフは”ソ連が崩壊しウクライナが独立する”などということは夢にも思っていなかった。

ソ連が崩壊し、ウクライナが独立

1991年にソ連が崩壊し、ウクライナは独立国となり、ロシアとウクライナは別の国になりました。
クリミアはそのままウクライナの領土でした。

ウクライナ独立後の情勢不安定

ウクライナが独立しても、ロシアは「勢力圏内」と考え影響下に置き続けたいと考えています。
また、ウクライナにもロシア人は多く住んでいて親ロシア派の人も存在しています。

独立後のウクライナは、親ロシア勢力と親西側勢力が対立し政情不安が起こりました。

2014年2月、ウクライナの政情が混乱しているところにつけこんで親ロシア派を利用してロシア有利な状況にしようとクリミア半島に軍を送り、占拠しました。
クリミア半島の軍人にはロシア人多かったこともあり、強い抵抗もなく実力行使が行われました。

「クリミア共和国」独立宣言、ロシアへ併合

クリミア自治共和国とセワストーポリ特別市は「クリミア共和国」として独立することを宣言し、住民投票を行い圧倒的多数で独立が支持され、3月18日ロシア連邦に加盟する形で併合されました。

「クリミア共和国」の独立・併合はロシアの主張であり、国際的には認められていません。

クリミア半島所有国の変遷

キエフルーシ
(9c-12c)
ハザール帝国、ビザンチン

タタール人支配下 キプチャクハン国

クリミアハン国

モスクワ大公国

(1340-1547)

オスマン帝国

ロシア

(1547-1721)

ロシア帝国

(1721-1922)

ロシア(ソ連)

ソビエト連邦

(1922-1991)

ウクライナ

ロシア連邦

ロシアはなぜクリミアにこだわるのか

クリミア半島にある軍港都市セワストーポリ(セバストポリ)は協定によりロシアがウクライナに賃貸料を支払う租借地となっています。

ウクライナはNATO加盟を希望していますが、そうなると、ロシアの前庭にNATO軍が臨み、セワストーポリはNATOの基地になる可能性もでてきます。
プーチンはそこを絶対的に阻止したいのです。

ウクライナ応援シリーズ

日本生まれの国際NGO AAR Japan[難民を助ける会]はウクライナ避難民の方々支援のための寄付を募っています

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