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北方領土問題

日本とロシアには領土問題があります。
北方領土問題です。
ざっくりとわかりやすくまとめます。

北方4島は常に日本領だった

ここでは北方領土をおおざっぱに、大2(国後、択捉島)、小2(歯舞・色丹)に分けて見ます。

国後、択捉、歯舞、色丹

大2小2とも幕末にロシアと結んだ日魯通好条約(1855年)の頃から第2次世界大戦中もずっと日本領でした。

ヤルタ密約

ところが、第2次世界大戦の終盤にソ連が乗り込んできて大2、小2を占領します。

ソ連占領

ソ連は堂々と乗り込んできました。
それは、第2次世界大戦終盤、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンがヤルタに集まって行ったヤルタ会議で3者の間で合意されていたからです。
ヤルタ密約です。

左からイギリスのチャーチル、アメリカのルーズベルト、ソ連のスターリン

サンフランシスコ条約での”線引き”

第2次大戦を終結させるためのサンフランシスコ条約では、日本が占領した領土を放棄しますが、その際、大2は放棄した範囲に入れていました。

第2次世界大戦中日本の最大領土

日本は国後、択捉は放棄

日ソ共同宣言

日本とソ連は、サンフランシスコ平和条約から5年後の1956年に和平を進め日ソ共同宣言を結びました。

ソ連はサンフランシスコ平和条約には調印していなかったからです。
サンフランシスコ平和条約はアメリカ主導で進められていました。ソ連はアメリカとは冷戦状態にあったため、これを拒否したのです。

拒否したスターリンが亡くなると、米ソ関係が少し好転しました。
この流れで、進めたのが日ソ共同宣言です。

この宣言ではソ連が「平和条約の締結後に歯舞・色丹を日本に引き渡す」となっていました。
アメリカはこれを知って、日本がソ連と親しくなることを懸念し、「四島一括でいけ」と日本にいうようになりました。
これ以降、日本は大2も日本の領土、というのが公式見解となっています。

新日米安保条約

1960年に日米安保条約が改訂されると、ソ連は態度を変えました。
日ソ共同宣言では小2は返すといっていたのに、小2も返さないといい領土問題の存在を否定したのです。

進まない返還

領土問題の存在を否定し続けたソ連ですが、1985年にゴルバチョフが大統領になると課題として認めるようになりました。
その後、1993年にはエリツィン大統領との間で「問題を解決しよう」という東京宣言が、1997年には同じくエリツィンと「2000年までに平和条約を結ぼう」というクラスノヤルクス合意が成立。
2000年に大統領になったプーチンは日ソ共同宣言と東京宣言の有効性を認めています。

北方領土にたいする考え方は、ソ連は、ヤルタ協定で了解を得ているのでそもそもソ連の領土だとの姿勢。

日本は、三国で勝手に決めた密約なので日本は預かり知らないことであるので、認めないとの立場です。

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