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ヨルダン川西岸

2019年5月、アメリカのトランプ大統領が「ヨルダン川西岸のユダヤ人入植地をイスラエル統治下に置く」という内容の和平案を作成中であると、イスラエルの新聞・テレビが報道しました。

これにたいしパレスチナ側は反発を強めています。

これはどのようなことなのか、どのような意味があるのかをまとめました。

まずはヨルダン川西岸とは。

現在のヨルダン川西岸

ヨルダン川西岸

ヨルダン川西岸はパレスチナ問題で焦点になる地域の一つです。下の新聞の地図はよく目にします。

ここは、もともとパレスチナ人(パレスチナに住むアラブ人)が住んでいた地域でしたが、第3次中東戦争で圧勝したイスラエルが占領し、以来両者の間で領有権が争われている地域です。

現在ヨルダン川西岸には、ユダヤ人とパレスチナ人が暮らしています。
それぞれ居住エリアが決められていて、生活は分離されています。

下の地図で薄紫色のエリア(C地区)はユダヤ人の、薄黄色のエリア(A地区、B地区)はパレスチナ人の自治権の範囲を示しています。

この薄紫色のエリアがユダヤ人入植地です。イスラエルが管理しています。
そして薄黄色のエリアはパレスチナ自治区です。パレスチナ自治政府が管理しています。

ユダヤ人入植地とは何か、パレスチナ自治区とは何かは次のとおりです。

ユダヤ人入植地

イスラエルは第3次中東戦争で圧勝し、この地を占領しました。
占領したからには、この地域にユダヤ人人口を増やしてユダヤ人の土地(イスラエル)にしてしまおうと考えます。

そしてイスラエル政府は住宅を建設したり開発業者に補助金を出すなどで土地開発を行い環境を整えてユダヤ人の移住を促進します。

これを入植といい、開発した土地を入植地といいます。

パレスチナ自治区

薄黄色のエリアはパレスチナ自治区です。
基本的にはパレスチナ自治政府が管理しているのですが、地区によって権限の”強弱”があります。

薄黄色のさらに薄い色の地区はA地区です。
A地区は行政も治安もパレスチナ自治政府が担っています。
薄黄色でも少し濃い色の地区はB地区です。
B地区は自治区といっても完全自治区ではありません。
行政はパレスチナ自治政府が行いますが、治安はイスラエルが握っているのです。

C地区にもパレスチナ人は住んでいますが、A地区、B地区から分断されていて、日常生活は不自由です。

A地区、B地区、C地区のうち一番面責が広いのがC地区です。ヨルダン川西岸の60%を占めています。

それにたいし、A地区は18%しかありません。A,B合わせて40%です。

ヨルダン川西岸全体がパレスチナ自治区というわけではありません。

七十数年前はヨルダン川西岸ということばもなければ境界線もありませんでした。

それがいったいどのように変化して現在に至っているのかを次で見ていきます。

ヨルダン川西岸の変遷

1947年 国連のパレスチナ分割案による境界

ヨルダン川西岸、境界の原型が引かれる。

第2次世界大戦終盤、ヨーロッパからユダヤ人がパレスチナへ移住してきたことで、先住のパレスチナ人との間で衝突が起こるようになりました。

この頃、パレスチナの地はイギリスが委任統治していましたが、イギリスはこの争いを解決することを放棄し、国連へ委ねました。

これを受け、国連はアラブ人の領域とユダヤ人の領域を分けてそれぞれ住み分ける提案をしました。
この分け方はユダヤ人側に有利でした。
ユダヤ人の所有地はもともと10%足らずだったのに、国連分割案では過半数を占めていたのです。

1949年 第1次中東戦争後

ヨルダン川西岸、トランス・ヨルダンに併合される。

開戦
国連に領域を割り振られたユダヤ人は1948年5月1日、イスラエル国の建国を宣言しました。
これに対し、パレスチナ周辺のアラブの国々は独立を認めず宣戦布告し、戦争となります。

アラブ側はエジプト、トランス・ヨルダン、イラク、シリア、レバノンです。
イラク以外はパレスチナと隣り合っていて、トランス・ヨルダンが一番広く接していてその次がエジプトです。

アラブの国は基本的にはパレスチナ地域の独立を支援していましたが、トランス・ヨルダンは密かにパレスチナを自分のところへ併合したいと狙っていました。
このことにエジプトなどはうすうす気づいてヨルダンを敵視するようになり、アラブ諸国の間に亀裂が入りました。

アラブ一丸となって戦うことができず、当初優勢だったところをイスラエルに反撃されました。

トランス・ヨルダンのヨルダン川西岸併合
第1次中東戦争終盤、ヨルダン川西岸はトランス・ヨルダン軍が占領していました。
そこでトランス・ヨルダンへの帰属を願う一部のパレスチナ人とトランス・ヨルダンが話を付けてヨルダン川西岸はトランス・ヨルダンへ併合されることになりました。
国名はヨルダン・ハーシム王国に変更されました。

ヨルダン派以外のパレスチナ人たちはこの併合を認めませんでした。

一部の人々によるどさくさまぎれの国家成立でしたので国際社会も認めていませんでした。

イスラエルの勝利
この戦争はイスラエルが勝利します。
ヨルダン川西岸はトランス・ヨルダンが併合し、ガザ地区はエジプトが占領しました。
境界はほぼ1947年の国連分割案に似ていますが、ヨルダン川西岸、ガザ地区双方ともアラブの領域が縮小しています。

1967年 第3次中東戦争後

ヨルダン川西岸、イスラエルに占領される。

イスラエルが水を確保するための工事を始めたことをきっかけに、再びアラブ諸国との衝突が発生し、1967年6月5日、イスラエル空軍が奇襲作戦を実行しました。
結果は六日間という短い間にイスラエルが圧勝、境界が大きく塗り替えられました。
ヨルダン川西岸はガザ地区、シナイ半島と共にイスラエルに占領されました。

この地を奪還しようとするのはヨルダン・ハーシムですが、他方ヨルダン・ハーシムによる併合を認めないパレスチナ人も、この地を取り戻すべくイスラエルと戦います。

ヨルダン川西岸は、イスラエルに対しヨルダン、そしてそれ以外のパレスチナ人の組織[パレスチナ解放機構(PLO)]との三つ巴の奪い合いになっていきます。

1967年以降 ヨルダン川西岸をめぐるヨルダンとパレスチナ人組織の対立。

1974年、ヨルダン、ヨルダン川西岸を放棄する。

ヨルダンを認めないパレスチナ人の代表の組織がパレスチナ解放機構(PLO)です。
リーダーはアラファトです。


PLOは国でなく組織であるため戦い方はゲリラ活動が主でしたが、パレスチナ人からは多くの支持者を集めていて、1974年にはアラブ首脳会議でパレスチナの唯一の正統な代表として認められました。

イスラエルからの奪還をめざすヨルダン川西岸をめぐって、ヨルダン・ハーシムとパレスチナ機構(PLO)が主導権を争っていましたが、ここでパレスチナ機構が優勢となりました。

その後PLOとヨルダンは協調の道を探りましたがうまくいきませんでした。

そのようななか、パレスチナ住民の蜂起が起こります。インティファーダです。

イスラエルに占領され抑圧されていたヨルダン川西岸とガザ地区のパレスチナ人がイスラエルに対し、石を投げるなどで抵抗し、それをイスラエル軍が力で鎮圧するという事件が発生しました。
この丸腰の一般市民の抵抗運動は国際社会も含め和平への道を切り開くものとなりました。

PLOはインティファーダを支援し、アラブ諸国はPLOを援助しました。
これにより、ヨルダン川西岸におけるPLOの存在感は強まり、ヨルダンはさじを投げる形で1988年7月31日、ヨルダン川西岸を放棄しました。

1988年 パレスチナ国家独立宣言

イスラエル領と「ヨルダン川西岸・ガザ地区」が分離される。

パレスチナ和平はPLOを中心として進むことになり、1988年末、PLOは次のような大きな決断をしました。

・パレスチナ国家として独立。
・イスラエルの存在を認める。
・テロを止める。

これまでPLOはパレスチナ全土の奪還をめざしていましたが、これによりパレスチナの領土はヨルダン川西岸とガザ地区でいいことにする、と譲歩したのです。

1993年 オスロ合意

ヨルダン川西岸の都市エリコとガザ地区にパレスチナ暫定自治開始。

1993年、PLOのアラファトとイスラエルのラビンがアメリカのクリントン大統領の立ち会いのもと和平合意を結びました。
和平調停を行ったのがノルウェーで、内容についてオスロで詰めたので、オスロ合意と呼ばれます。

この合意で、ヨルダン川西岸の都市エリコとガザ地区にパレスチナの暫定自治区を設けることが決められました。

止まないユダヤ人の入植

分離壁の設置

その後少しずつ自治区は広くなってはいますが、現在の地図でわかるように虫食い状態です。
一方で、ユダヤ人の入植はかまわず続けられています。

しかも、地図をよく見ると赤い線が確認できます。
これはイスラエルがヨルダン川西岸に住むパレスチナ人からのテロを防ぐという触れ込みで設置した壁です。

分離壁といわれ、イスラエルの領土ではないヨルダン川西岸側にはみだして作られています。
これは国際法に違反していると国連でも撤去を求める決議がなされています。

トランプ大統領がなぜ

これだけ戦いの歴史があるヨルダン川西岸について、報道によるとトランプ大統領はいきなりイスラエルに一方的に有利な判断を表明するとみられています。

アメリカのトランプ大統領がなぜイスラエルについて”お墨付き”的なことを発表するのか、下記にまとめます。

アメリカがパレスチナ問題にかかわる理由

アメリカはパレスチナ問題についてポイントポイントでかかわってきています。
それは大きく二つの理由があります。
一つはイスラエルとの歴史的なつながり。
二つめは中東の石油狙いです。

歴史的なつながり

イスラエルは、第2次世界大戦終盤にヨーロッパから難民となったユダヤ人がパレスチナの地に移動してきて作られた国です。
難民となったユダヤ人の中にはパレスチナでなく、アメリカへ渡った人も多くいました。

アメリカのユダヤ人は政治的な活動に熱心で、大統領選挙やアメリカ議会にも大きな影響力を持ちます。

ユダヤ人の支持を集める必要があるアメリカ大統領や議会はイスラエルの味方をすることになります。

石油狙い

アラブ諸国は石油産出国です。アメリカはアラブから石油を輸入できなくなると経済的に立ち行かなくなる状況がありました。
それで、アラブからも嫌われるわけにはいかず、イスラエルとアラブの仲介という役割を引き受けてきたのです。

トランプ大統領とイスラエル

トランプ大統領時代の今、アメリカとパレスチナ問題の状況は変化してきています。

まず、石油で困らなくなっています。
アメリカでシェールオイルという新しい形で石油が採掘できるようになったためです。

それから、アメリカは今アラブ諸国とも密接な関係になっています。

エジプトやサウジアラビアなどに軍事支援を行ったりしているからです。

なので、アメリカがイスラエルの肩をもってもアラブ諸国の反発も弱まっているのです。

ネタニヤフとうまが合うこともありそうです。

2019年3月、トランプ大統領はベトナムのハノイで行われた米朝会談の帰り、エアフォース・ワンから選挙を控えたネタニヤフに「がんばれ」とエールの電話をかけたそうです。

娘婿の父の影響もうわさされています。
トランプの娘イヴァンカさんは美しくて話題を集めましたが、その夫クシュナー氏も注目されています。
クシュナー氏は父親が大資産家でネタニヤフ首相の支持者として有名ということです。

トランプは今回の、「ヨルダン川西岸のユダヤ人入植地をイスラエル統治下に」の前にもイスラエル支持の政策を打ち出しています。
・2019年3月のゴラン高原の主権承認。

・2018年5月のエルサレムを首都に認定。

どれも、パレスチナ人ユダヤ人の戦いの経緯を無視するもので、あっさり実現するものではありません。

【監修 立山良司(防衛大学校名誉教授)】

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