菅首相と毛沢東

菅首相は毛沢東に似ている。
顔が似ているというわけではありません。

知識人嫌いという点です。

毛沢東と知識人

毛沢東は1956年「百花斉放・百家争鳴」を提唱し、知識人たちが自由に意見を述べることを奨励しました。
ところが、やってみるとあまりにも批判が激しかったので、一転知識人を弾圧しはじめます。
共産党機関紙「人民日報」(1957年6月8日)に知識人が傲慢だという社説を掲載し、知識人をつぎつぎと逮捕しました。

知識人たちは「陰謀」だと抗議しても、毛沢東は具体的な説明は一切せず、「陰謀ではない、陽謀だ」といい開き直ったといいます。

言論封鎖に成功した毛沢東は独裁者へと成り上がっていったのです。

そして1960年代は人類史上最大規模の失策ともいわれる文化大革命が推し進められていきます。

文化大革命ではエリート官僚、知識人が投獄、殺害されいまだ全容が明らかになっていない規模の命が失われました。

毛沢東が大好きなのは、崇拝してくれる学生と、地主に不満を持った農民です。
文化大革命ではさんざん利用してきエリート学生にたいしても学生が批判精神を表すと「知識青年」として「上山下郷運動」によって地方に追放(下放)しました。

「上山下郷運動」は若者は農村に行ってもっと勉強すべきし、農業支援のために地方への移住を推奨するというものです。
習近平も下放青年だったそうです。

さて、菅首相です。

お忙しいなか、日本学術会議が提出した会員候補105人を吟味しそのうちの6人を排除しました。

下積み時代もあり裏方仕事が得意とはいえ、まめなことです。
その理由を問われると「総合的、俯瞰的」と開き直りました。

ふるさと納税、GO TOキャンペーンと地方の活性化には熱心でいらっしゃるも、日本学術会議にたいしてはあっさりしすぎているでしょう。

人事と評価はセットです。
学術的評価で挙げられた6人が不適切ならその評価基準・理由を学術的に論破しなければいけません。

裏方の時は”汚れ”仕事もあったでしょう。
それは上司の虎の威で脅してつぶしてやり過ごしてきたこともあるのでしょう。

ですが、今は表、首相です。
一国のリーダーとして、人を尊重し専門性に敬意を表するという基本的な姿勢がない人は不適格です。

独裁の始まりは小さなことから始まるといいます。

河合克行、案里夫妻になぜ選挙資金1億5000万円も支給したのかについても、当時の官房長官の説明責任は果たされていません。

「令和おじさん」の正体見たり。の出来事です。

おまけ

作家の楊逸(ヤンイー)さんは、新聞のコラムで「政治家の顔写真の目から下を隠し、目だけを見ると、その人の本質が見えてくる。安倍首相は臆病なのに野心が強く、菅官房長官は、腹の中に何かを隠し持っているように見える。」と書いています。

↑菅首相アップ。

まさにそのとおり。

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