旭日旗のデザインと日本、朝鮮半島
2018年9月30日”韓国海軍が10月に行う「国際観艦式」で日本を含む参加15カ国にたいし、海上パレード中は艦艇上に自国国旗と韓国国旗を掲げるように通達したことがわかった”と報道がされました。
日本の自衛艦旗「旭日旗」が韓国内で「日本軍国主義の象徴」との批判があるので掲揚を控えてほしいということです。
旭日旗とはどういった旗で、なぜ日本軍国主義の象徴と思われているのでしょうか。
旭日旗とは
これが旭日旗だ
焦点となっているのはこの旭日旗。
これは海上自衛隊の自衛艦で掲げられる自衛艦旗です。
ちなみに陸上自衛隊で使われる旗は自衛隊旗です。
これらは1954(昭和29)年に施行された自衛隊法施行令によって制定されたものです。
1954年というと、太平洋戦争で日本が敗戦したのが1945(昭和20)年ですからそれから9年後のことです。
以来、海上自衛隊ではこのデザインの旭日旗が掲げられているのです。
旭日旗のデザインは時代とともに変化しています。
旭日旗デザインの変遷
明治3年制定の旭日旗
旭日旗が正式に定められたのは明治時代からです。
明治3(1870)年に太政官布告第355号陸軍国旗章並諸旗章及兵部省幕提灯ノ印ヲ定ムとして定めされました。
この時は陸軍御国旗としての旭日旗です。
陸軍の旗ということで海軍はありませんでした。
明治3年法令全書掲載の図
明治22年の旭日旗
明治22(1889)年、「海軍旗章条令」によって海軍の旗が制定されました。
海軍旗章条令には、天皇旗、皇后旗、皇太子旗、親王旗、海軍大臣旗、軍艦旗、艦首旗、運送船旗などが挙げられています。
このなかの軍艦旗として旭日旗が指定されています。
軍艦旗は船尾に掲げるものとされました。
艦首に掲げる旗は日の丸です。
昭和29年の旭日旗
日本に軍の旗がなかった時期があります。
それは太平洋戦争に敗戦した昭和20年から28年の間です。
昭和21年に日本国憲法が公布され陸海空軍の保有が禁じられました。
憲法9条の2というやつですね。
「第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
ところが、朝鮮戦争やソ連の脅威などの情勢から再軍備がなされます。
・昭和25年警察予備隊が発足。
・昭和27年保安庁[保安隊(警察予備隊)、警備隊(海上警備隊)]新設。
昭和29年には自衛隊法が施行され陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊が発足します。
そして、自衛隊法を実施するための自衛隊法施行令で自衛隊の旗が定められました。
これが現在も続けて使用されています。
先にも紹介しましたが再掲載しますと。
自衛隊旗
自衛艦旗
さて。
自衛艦旗ですが、明治22年のものと・・・同じです。
いろいろ検討されたものの、旧軍の軍艦旗を継承することになったということです。
韓国と旭日旗
韓国は日本軍国主義の象徴として旭日旗を批判しています。
明治以降、日本が朝鮮半島にかかわっていった事件と旭日旗を見てみましょう。
江華島事件
1853年黒船が日本へ来航したように、アメリカ、イギリス、フランス、ロシアなど世界の強国が清をはじめ朝鮮半島へも触手を伸ばし始めていました。
日本は明治政府になり、朝鮮と改めて外交を結ぼうと使節を送りますが、文面が日本が上位に立つ高圧的なものだったため拒絶されます。
日本は1875年、雲揚号を朝鮮の江華島付近に付け挑発的な軍事演習を行い朝鮮軍と衝突する事件を起こします。
これを江華島事件または雲揚号事件といいます。
武力で勝る日本は朝鮮を圧倒し、威嚇の姿勢を見せ不平等な日朝修好条約を結ばせます。
江華島事件の想像図があります。
1875年は明治8年ですから、陸軍御国旗としての旭日旗は存在していましたが、軍艦用の旭日旗はない時代でした。
ですが、もしかしたら陸軍御国旗が掲げられていて朝鮮の人々は目にしていたかもしれません(個人の感想です)。
日清戦争の平壌の戦い
朝鮮半島の利権をめぐり、日本は清と争うことになります。
当然朝鮮半島が戦場となります。
平壌の戦いを描いた木版画「平壌攻撃我軍敵壘ヲ抜ク」(水野年方作)に旭日旗が見えます。
平壌の戦いは1894(明治27)年ですから、旭日旗は軍艦旗として使用されていた可能性が高いです。
閔妃暗殺
閔妃は朝鮮王の妻の皇后です。朝鮮王が統率力に欠けていたのにたいし、閔妃は政治力に長け内政・外交に直接的・間接的に積極的にかかわり朝鮮政治の中心となる人物でした。
日本は朝鮮を自国の都合のよいように開国するよう働きかけていましたが思うようになりませんでした。
“朝鮮が日本の思い通りにいかないのは閔妃が元凶”と考えたのが朝鮮の日本公使として赴任していた軍人の三浦悟楼です。
三浦は1895(明治28年)閔妃を殺害します。王宮にいた閔妃に軍人や壮士たち複数人が切りこんだのです。
その時の日本の首相は伊藤博文でした。のちに伊藤博文は韓国の独立運動家の安重根に殺害されます。
安重根は殺害の理由を15挙げていますが、その第1項目目に王妃閔妃を殺害したことが示されています。
閔妃暗殺は朝鮮の人々にとって反日感情の大きな要因の一つとされています。
日露戦争
日清戦争は日本の勝利となり、朝鮮の独立や遼東半島の割譲などが約束されましたが、ロシア、フランス、ドイツから「三国干渉」のちゃちゃがはいり遼東半島は朝鮮に戻すことになりました。
その後ロシアは朝鮮半島で影響力を強めこれにたいし日本は反発で臨み日露戦争へと展開していきます。
日露戦争でも朝鮮半島は戦場となります。
日露戦争は1904(明治37)-1905年に行われました。
日露戦争といえば日本海海戦、バルチック艦隊との戦いが有名ですが、バルチック艦隊と戦った大日本帝国海軍の戦艦「富士」の写真があります。
ばっちり軍艦旗が翻っています。
日露戦争終結の日露講和条約でロシアは日本が韓国に口出ししていくことを認めました。1906年には日本の総督府がおかれ初代統監に伊藤博文が着任します。
伊藤博文は1909年、ハルビン駅で独立運動家の安重根に射殺されます。
安重根は1910年3月に死刑となります。
1910年8月、日本は韓国を併合しました。
太平洋戦争終結から独立まで
1910年以降、朝鮮半島は日本の支配下に置かれます。
1930年以降日本が満州などへ侵略し太平洋戦争へ拡大すると、日本は朝鮮の人々に「皇民化政策」を行い名前を強制的に変更させ(「創氏改名」)、労働力として「強制連行」しました。
最大の戦艦大和
日本海軍の象徴戦艦長門
どちらにも旭日旗が掲げられています。
日本の敗戦後、朝鮮は独立できるはずでしたが、米ソの冷戦の構図で北と南に分断され1948年に朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国として別々に独立しました。
(半島統一をめざして1950年に北朝鮮が起こしたのが朝鮮戦争です。)
国際観艦式はどうするのでしょうか。
確かに朝鮮半島に日本が進出していった時代と旭日旗の使用は重なっています。
昭和29年の時にデザインが変わらないというクリエイティブ感のなさはどうなのか、という点はありますが日本としては「自衛隊法などの国内法で自衛艦旗の掲揚は義務付けられているので当然掲げる」の姿勢です。
旭日旗はNGでも日の丸はよいのでしょうかね。
朝日新聞社の社旗は旭日旗に似ていますが、韓国では朝日新聞の記者は取材できないのでしょうかね。
そんな話は聞いたことないです。
朝日新聞社の創立は1879年なのでその時点で社旗が決まっていたとしたら、こちらの方が先かもしれません。
10月10日の式は日本、各国どのような旗で来るのでしょうか。
現在運用されている海上自衛隊の護衛艦「はたかぜ」