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シンガポール どこ? なぜ?

アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の首脳会談が2018年6月12日に予定されています。

開催地については、ワシントン、北京、ソウル、平壌、モンゴルなどの可能性があがりましたが、シンガポールと決まりました。

シンガポールは、地図で見るとマレー半島の先の島で、地図帳ではいつも首都の●の印で覆われてしまうくらい小さい国です。

面積は東京23区より少し広いくらいです。

ですが、世界銀行の統計では、世界で最もビジネスを行いやすい国の1位に選ばれたり、日本企業も海外進出の拠点を置くなど、ビジネスがグローバル化している今、激しく勢いのある国です。

なぜにこのように小さな国が独立国になったのか。超簡略歴史でまとめました。

シンガポールがビジネスで栄えていたのは最近始まったことではなく、14世紀の頃から交易で栄えていたことが明らかとなっています。

19世紀、シンガポールはイギリスに目を付けられます。

イギリスのアジア貿易といえば。そう、東インド会社です。

東インド会社のトーマス・スタンフォード・ラッフルズがシンガポールの王を王位継承問題を利用して攻略し、1824年シンガポール全土をイギリスの領土とします。

ラッフルズはシンガポールを全ての貿易業者が自由に利用できるようにします。

それによりシンガポールは商業の都市として発展します。

貿易が盛んになると移民も増加します。

中国系、インド系、マレー系、アラブ系、ヨーロッパ系の人々がここに集まってきました。

なかでも多かったのが中国系でシンガポール人口の75%を占めるほどでした。

シンガポールには日本も大きく関係してきます。

太平洋戦争の1942年、日本はシンガポールを占領します。

当時の地名は「昭南島」とされました。

シンガポールの占領をめぐって、日本軍司令官の山下奉文中将がイギリス軍と交渉している場面。条件交渉をしようとしたイギリス軍に対し降伏するのか「イエスかノーか」と強気に迫ったとされる逸話が有名。「イエスかノーか」は当時流行語にもなった。

日本が敗戦すると再びイギリスの植民地になります。

マレー半島も1896年からイギリスの植民地になっていてイギリス領マラヤと表されます。

第2次大戦後、イギリス領マラヤでは独立の機運が高まります。

イギリスも世界各地の植民地の独立は不可避と判断し、マラヤは1957年に独立を果たします。

一方シンガポールは1959年にイギリス連邦内の自治領となります。

自治領は内政の自治が認められたもので、選挙が行われリ・クアン・ユーが初代シンガポール首相に選ばれました。

リは、マラヤと統合することでの独立をめざします。

マラヤはゴムや錫が豊富で人口も多いことから、経済基地としてのシンガポールにとって重要でした。

マラヤの首相のアブドル・ラーマンは、シンガポールに中国やソ連の影響が強まることを恐れ、シンガポールとの統合を考えていました。

1963年、シンガポールとマラヤ連邦が統合し新連邦マレーシアが成立、シンガポールは新連邦マレーシアの1州となることで独立を果たしました。

しかし、シンガポールからは不満が出ます。

当時シンガポールは一人当たり所得がマラヤの2倍以上あるなど両地域の間には格差が存在したり、マレー系が優遇される政策がとられたことへの反発などで対立が強まってきました。

この対立は激化し、1965年ついにマラヤとシンガポールは分離、同年8月9日シンガポールは単独の独立共和国となったのでした。

シンガポールはリー・クアン・ユーをリーダーとして「生き残りのイデオロギー」というスローガンのもと、能力主義社会の道を開いたのでした。

シンガポールは多言語・多民族社会で公用語を何にするかが重要でした。

どれか一つに決めると、その一つが圧倒的有利になるし、その他の言語を使っている他の国との軋轢につながることが考えられるからです。

そこで、政府は1966年から二言語政策をとります。

第1外国語は英語で全員が学び、第2外国語は中国語、マレー語、タミル語などを自由に選択するという方法です。

だから、シンガポールの方は英語が上手なのですね。

シンガポールで話されている英語は「シングリッシュ」などと呼ばれ、英語として正確ではないけれど、ビジネス上非常に有効という、英語苦手な日本人にとってたいへんうらやましい英語です。

その後、シンガポールは外資を積極的に誘致する政策をとり、国際経済の状況に合わせて基幹産業も変化させることで競争力を上げてきたのです。
今回の開催場所選びでも、英語が通じて臨機応変に対応してくれるところ、ということで決まったのかもしれません。

(参考資料:田村慶子『シンガポールの基礎知識』めこん)

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