対ポーランド決戦の地、ボルゴグラード

2018年6月28日、FIFAワールドカップ・ロシア大会、サッカー日本代表は1次リーグ突破をかけてポーランド戦に臨みます。
日本は引き分けでも決勝トーナメント進出が決まります。
ポーランドは既に敗退が決まっているので、テンションがガタ落ちなのか、せめて1勝しないと帰れないとせっぱつまってくるのか、前者だといいなと思うところです。

開催地はボルゴグラードです。
ボルゴグラードは以前スターリングラードと称されていました。
スターリンの町という意味です。
この町の名称の変遷を現代史の流れを1ページでまとめます。
ポーランドも重要な国です。

スターリンは、ソ連の生みの親レーニンが亡くなった後頭角を現し権力を握っていった人物です。

スターリン

自分に歯向かう人間を弾圧し粛清するという方法で最高指導者としての地位を固めていきました。
レーニンの死が1924年、ツァリーツィンと呼ばれていた都市がスターリングラードと命名されたのが1925年です。

スターリンの時代、第2次世界大戦が起こりました。
第2次世界大戦は、ドイツ第3帝国のヒットラーが領土拡大をめざし、ヨーロッパを手始めに各国を侵攻した戦争です。
ヒットラーは1939年に隣国ポーランドに侵攻します。

この直前、ヒットラーとスターリンは密約を結んでいました。
ドイツはポーランドに侵攻するけれど、ソ連まではいかないのでじゃまするな。そのかわり、ポーランドの東半分はソ連の領土にしてもいい。という独ソ不可侵条約です。
この密約に基づき、ドイツはポーランドの西半分を占領、ソ連は東半分を占領します。
このことでポーランドという国は一時消滅してしまうのです。

しかし、ポーランドを占領した後の1941年、ドイツは独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻します。
そこから激しい独ソ戦が展開されます。

ソ連は3つの大きな都市があります。
・レニングラード
・モスクワ
・スターリングラード

ドイツはこの三大都市の占領を目指していました。
1.レニングラード ⇒ドイツが900日完全包囲。
2.モスクワ ⇒ ドイツ軍をソ連が反撃、占領失敗。
3.スターリングラード ⇒ ソ連最大の激戦。200日にわたって死闘が繰り広げられ両軍合わせて260万人が死傷。ドイツ軍は降伏しました。


市街戦跡。現在は博物館。

スターリングラードの攻防戦は押されていたソ戦の転換点となり、1943年、ソ連がドイツに勝利しました。
スターリングラードの攻防をモチーフにした映画に『スターリングラード』があります。
第2次世界大戦でソ連は戦勝国となりました。
スターリンは1953年に亡くなり、その後権力をもったのがフルシチョフです。

フルシチョフ

フルシチョフはスターリン時代の国内政治・経済の政策を転換させようと「スターリン批判」を行います。
その時、スターリングラードの名前も変更され、現在のボルゴグラードになったのです。
カスピ海に繋がるボルガ川の起点となる町なのでこの名がつきました。

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