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ユダヤ教、キリスト教

ユダヤ教とキリスト教は現在一般的には全く別の宗教のイメージがありますが、源流は同じです。

もともとはユダヤ教が本体で、キリスト教はユダヤ教から分離し拡大していきました。

キリストはもともとユダヤ教のラビ(指導者)でした。

そのキリストを磔の刑にしたのはユダヤ教上層部でした。

ユダヤ教が当初優位にありましたが、後々ユダヤ教はローマとの戦争で敗れパレスチナを追われ、一方キリスト教はローマの国教になります。

以上のことを詳しくまとめます。

ユダヤ教のおこりからキリストの登場まで

ユダヤ教は紀元前13世紀ころに成立しました。
エジプトで奴隷だった人々が脱走してパレスチナに到達する途中で成り立ったのです。
このことについての詳しいことは旧約聖書に書かれています。



ユダヤの王国がパレスチナに存在していましたが、大国に滅ぼされました。
ローマの支配下になっていた時代にキリストが登場しました。

キリストの台頭

イエスの登場から処刑

イエスはローマ支配下のエルサレムで誕生しました。(西暦0年!? ではなく、現在では紀元前4年と考えられています)。

大人になったイエスはエルサレムでユダヤ教のラビ(指導者)として宗教活動を行いました。
エルサレムはローマ支配下でさまざまな社会問題に直面していましたが、ユダヤ教はそれを解決するには至っていませんでした。

そんな状況を背景に登場したのがイエスです。
イエスは新たな解決策を提案し現体制を批判しました。
人々からの税金でなりたっている神殿制度に激しく反発したり、病人を癒したり罪人と交わったりなどの活動を繰り広げていきました。

“既存のユダヤ教をぶっこわす”勢いで登場したニュータイプのイエスは最終的にはユダヤ人指導者の中枢と対決し、逮捕され裁判にかけられて十字架刑に処せられるわけです。
AD30年の頃です。

十字架刑は刑罰のなかでももっとも重い刑でした。
キリスト処刑

イエスの弟子たちによる布教

イエスが処刑された段階ではまだ「キリスト教」という宗教はありませんでした。
キリスト教が誕生するのは、イエス亡き後、弟子たちがイエスの教えを広め始めたことによります。

この頃はまだユダヤ教とイエスの弟子たちの教え(キリスト教)は決別していたわけではなく、ユダヤ教ナザレ派(ナザレはキリストの出身地)といったところでした。

支配国のローマは、内政の状態によって政策が一貫せず、キリスト側の人間を逮捕してユダヤ人を喜ばせたかと思うと、一時的ではあってもユダヤ人追放令を発令するなど、していました。

ローマはローマ帝国が最盛期を迎える前の属州を拡大している時期でした。

暴君でおなじみの第5代皇帝・ネロの頃、拡大路線が停滞する時期がありました。その機をみてユダヤ人が決起します。
ネロ

ユダヤ戦争です。

ローマ帝国

ユダヤ戦争

ユダヤ人は団結してローマ帝国に反乱を起こしました。AD66年。
最初はユダヤ人が優勢でしたが、最終的にはローマが鎮圧しユダヤは敗北、エルサレムは破壊され、神殿も破壊されました。

ユダヤ戦争

この戦争の後、ユダヤ教とキリスト教は決別することになります。

キリスト教の誕生

ユダヤ教とひとくちに言っても、考え方が微妙に異なる派閥が存在していました。
ユダヤ戦争で敗北した後は、ユダヤ戦争時に優勢だった派閥に代わり比較的反ローマ的でない別の派閥が主導権を握るようになりました。
この新派閥は縛りがきつく、従わない派閥は厳しく排除しました。

イエスの教えも排除され、ここで、ユダヤ教の一派的な存在だったイエスの教えは「キリスト教」として独立することになったのです。

そうなるとユダヤ人で新たにキリスト教とになる人が激減し、キリスト教はユダヤ人でない人で構成されることになっていきました。

ローマ帝国域内で生まれてキリスト教徒となったテルトゥリアヌスがラテン語で聖書を書いた際に「新約聖書」ということばを用い、以来、ユダヤ教の聖書は旧約聖書、キリスト教の聖書は新約聖書とよばれるようになりました。

第2次ユダヤ戦争とユダヤ人のディアスポラ

AD131年、再びユダヤ人はローマに対して反乱をおこしました。
第2次ユダヤ戦争です。

ユダヤ人はローマにこてんぱに鎮圧されてしまいました。
これ以降、ユダヤ人はエルサレムから追放されてしまい、他の地で暮らすことを余儀なくされました。
ヨーロッパや中東、北アフリカなどへ離散して移住することになったのです。

パレスチナ以外の土地で暮らすユダヤ人をディアスポラのユダヤ人といいます。

各地に散ったユダヤ人たちは、移住した国でユダヤ教式の生活を貫いて暮らしました。

キリスト教国教に

キリスト教は4世紀にローマ帝国の国教となります。

それ以前はキリスト教もローマ帝国になんども迫害されてはゆるめられ、を繰り返していました。

キリスト教はそんななか、ユダヤ人以外の人々などを懐深く受け入れながら勢力を広めていました。

ローマは「全世界支配」を標榜していて、そのためにはある程度、その地域の自治を生かしながらコントロールする体制をしいていました。

ローマは縛りのきつくないキリスト教をとりこむことで、統制をとることを考え、またキリスト教も堂々と布教活動を行うことができる利点を生かし、ローマ帝国とキリスト教がマッチしたのです。

このようにして、以降キリスト教はローマ帝国の盛衰に伴って布教していくことになったのです。

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