【歴史年表】ウクライナとロシア
目次
ウクライナ、ロシアの歴史的流れ
プーチンはウクライナはロシアと兄弟国だといいますが、ほんとうでしょうか。
それは、ウクライナからみると違うということになるでしょう。
確かに当初は「キエフ・ルーシ」という一つの国の地域でしたが(首都はキエフ)、その後運命は分かれます。
超おおまかに2国の歴史の流れをまとめます。
年代 | ウクライナ | ロシア |
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9-11世紀頃 | キエフルーシ大公国 (首都はキエフ、モスクワは1地方) |
|
13世紀 | タタール人の支配下に | |
13-16世紀 | リトアニア・ポーランドの支配下に | タタール支配下で力をたくわえ、モスクワ大公国として勢力拡大 |
16世紀 | コサックの台頭 | |
1648年~ | ポーランドからの独立の戦い | |
1654年 | モスクワの保護下に | |
1656年 | ポーランドと和平協定を結ぶ | |
1709年 | ポルタヴァの戦い[ウクライナvsモスクワ] | |
ドニエプル川東側ロシアに併合される | 国名「モスクワ」から「ロシア」へ | |
1772~ | 80%ロシアに、20%オーストリア帝国に分割される | ポーランド分割で西側に拡大 |
1876年 | ウクライナ語新聞の発行禁止、小学校のウクライナ語による教育禁止など。 | |
1914年 | 第1次世界大戦 | |
オーストリア支配下は三国同盟側、ロシア側は三国協商側に分かれて戦う | 三国協商 | |
1917年 | ロシア革命 | |
独立の機運高まる | 内戦状態 | |
「ウクライナ国民共和国」創設。ほぼ領土回復。 | レーニン、ソビエト政府樹立 | |
ウクライナ対ソビエト政府の戦い勃発 | ||
ドイツ、ポーランド他外国勢の介入で内乱状態。 | ソビエト政府勝利 | |
1922年 | 独立挫折。「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国」としてソビエト社会主義連邦共和国の支配下に。 | 「ソビエト社会主義連邦共和国」成立 |
1985年 | ゴルバチョフ書記長ペレストロイカ政策開始。 | |
1989年 | ウクライナ語が国語化。 | |
1991年 | ゴルバチョフに対するクーデータ発生、失敗。 | |
1991年8月24日 | 「ウクライナ」独立 |
ウクライナとロシアが兄弟だったことはない
キエフ・ルーシの時代も、キエフあたりは「ドレヴリャネ族」、モスクワあたりは「クリヴィチ族」が住んでいました。
ロシアからしたら”舎弟”くらいに考えていたかもしれませんが、ウクライナからみたら、ロシアと「仲の良い兄弟」だった時代は一度もないことがわかります。
ウクライナ応援シリーズ
ウクライナの歴史とクラシック音楽。ウクライナに関連する交響曲は多くあります。チャイコフスキー交響曲第2番『小ロシア』の小ロシアはロシア側からみたウクライナの呼称。辺境の意味がある。ウクライナはたんに「土地」の意味だとしている。
ウクライナの首都キエフは、歴史的にロシアの発祥です。キエフが重要な都市であったことは、作曲家がテーマにとりあげていることでわかります。その1つに。ムソルグスキー作曲『展覧会の絵』の1場面「キエフの大門」があります。ウクライナの賢公が設けた門です。
チャイコフスキー作曲のオペラ『マゼッパ』の主人公マゼッパは、ウクライナの独立をめざすコサックの指導者です。コサックはウクライナの地を外敵から守るために結成された自警団。コサックの地をウクライナとよぶようになりました。