オデーサはウクライナ・ロシアにとってどれだけ重要か。新潟大学の左近幸村准教授の地図がよくわかる
目次
オデーサのはじまり
オデーサは黒海沿岸に位置しするウクライナの港です。
ウクライナが独立する以前、ロシア帝国の時代はロシアの重要港でした。
1794年、当時のエカチェリーナ2世の命によって建設されました。
この頃、ロシアは黒海沿岸部を領有することに成功したのです。
ロシアは黒海をはさんでオスマン帝国と対峙していて繰り返し戦っていました。
ロシアは黒海沿岸を足場に、ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡を経由して外海に出たいと考えていたのです。
ロシア・トルコ戦争
1787年のロシア・トルコ戦争でロシアはオスマン帝国に勝利し、クリミア半島や周辺を領有することに成功しました。
オデーサからの商船航路地図
広大なロシアの1地点であるオデーサがロシアの海への重要拠点であったことがひとめでわかる地図をみつけたので紹介します。
1911年のロシア汽船貿易社の航路図です。
黒海をめぐり、西へ南へと海洋貿易が展開されています。
新潟大学の左近幸村准教授の研究の概要が新潟大学研究推進機構のウェブサイトでみることができます。
ウクライナの独立後オデッサはウクライナに
ロシア帝国は1922年ソビエト連邦になり、1991年にはソ連は崩壊しウクライナが独立しました。
オデーサはウクライナの港となりました。
2がウクライナ
ウクライナ応援シリーズ
ウクライナの歴史とクラシック音楽。ウクライナに関連する交響曲は多くあります。チャイコフスキー交響曲第2番『小ロシア』の小ロシアはロシア側からみたウクライナの呼称。辺境の意味がある。ウクライナはたんに「土地」の意味だとしている。
ウクライナの首都キエフは、歴史的にロシアの発祥です。キエフが重要な都市であったことは、作曲家がテーマにとりあげていることでわかります。その1つに。ムソルグスキー作曲『展覧会の絵』の1場面「キエフの大門」があります。ウクライナの賢公が設けた門です。
チャイコフスキー作曲のオペラ『マゼッパ』の主人公マゼッパは、ウクライナの独立をめざすコサックの指導者です。コサックはウクライナの地を外敵から守るために結成された自警団。コサックの地をウクライナとよぶようになりました。