【歴史地図】カリーニングラード ロシアの飛び地 重要な海軍の拠点
カリーニングラードはロシアの軍港ですが、リトアニアの南に位置し、ロシア本土から直接アクセスできない、飛び地です。
なぜ、このような状況なのでしょうか。
目次
ドイツの飛び地のはじまり
13世紀、ポーランドはこのあたりに居住する異教徒を攻略しようと戦いをしかけました。
この時、援軍として招きいれたのがドイツ騎士団です。
ドイツ騎士団は勝利しこの地に都市を築きました。
そして、ドイツや他のヨーロッパから植民者をよびこみました。
この都市はドイツ人化していき、ドイツ騎士団という強力な軍事力を備えた国として存在するようになったのです。
第1次世界大戦後
このあたりは、第1次世界大戦後ドイツ領・東プロイセンでした。
都市の名前はケーニヒスベルクでした。
第1次世界大戦後のヨーロッパ
第2次世界大戦後
第2次世界大戦でドイツが負けると、東プロイセンは北半分がソ連に、南半分がポーランドに分割されました。
第2次世界大戦後のヨーロッパ
この地域はソ連・カリーニングラード州になりました。
最高会議幹部議長のミハイル・イワノヴィッチ・カリーニンにちなんだもので、「カリーニンの町」という意味です。
カリーニン
ソ連崩壊
1991年ソ連が崩壊すると、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバは独立国となりました。
カリーニングラード州はそのままロシアが引き継いだことで、”置き去り”のような形で飛び地になったのです。
日本とカリーニングラード
カリーニングラードは歴史のなかで日本とも関係があります。
1904年に行われた日露戦争で日本の勝利を決定づけたのが「日本海海戦」です。
日本海海戦に臨み連合艦隊旗艦「三笠」の艦橋で指揮をとる東郷
日本海の対馬周辺で、東郷平八郎率いる日本の連合艦隊と対戦したのが、カリーニングラードから出航してきたロシアのバルチック艦隊(バルト艦隊)です。
バルチック艦隊航路
ウクライナ応援シリーズ
ウクライナの歴史とクラシック音楽。ウクライナに関連する交響曲は多くあります。チャイコフスキー交響曲第2番『小ロシア』の小ロシアはロシア側からみたウクライナの呼称。辺境の意味がある。ウクライナはたんに「土地」の意味だとしている。
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チャイコフスキー作曲のオペラ『マゼッパ』の主人公マゼッパは、ウクライナの独立をめざすコサックの指導者です。コサックはウクライナの地を外敵から守るために結成された自警団。コサックの地をウクライナとよぶようになりました。