パレスチナ問題を理解するための旧約聖書 ③カナンへの侵攻、イスラエル王国の建国。
シリーズ回 | 年 | メインプレーヤー | 特長 | 現代につながるトピック |
③ | ヨシュア | モーセの後継者。 | カナン(現在のパレスチナ)に侵攻して定住。その土地を12部族で分配した。 | |
BC1004 | ダビデ王 | イスラエル王国の2代目王。勇者。 | エルサレムを首都にした。 | |
ソロモン王 | イスラエル王国の3代目王。智恵者。 | エルサレムに神殿と宮殿を建設。 |
現在のイスラエルとパレスチナの関係の起源がこれです。
カナンに国を創る
カナンに到着したヨシュアはここに定住しようと考えました。
ジェリコの戦い
ここには先住民がいますので、ヨシュア一行は征服者ということになります。
カナンの街エリコ征服の様子の歌があります。
「ジェリコの戦い」(ジェリコは今のエリコ)
我らは忘れずジェリコ ジェリコ ジェリコ 今も 夢見る遥かなジェリコ 懐かし故郷 ああいつの日か共に行かん ああヨシュアと共に 敵に奪われし 故郷をさして —— 流れは豊かなジェリコ ジェリコ ジェリコ 進め 望むは故郷のジェリコ 敵は間近ぞ おお正義の旗を掲げ おおいまこそ行かん 敵を蹴散らして 城をわが手に |
「敵に奪われし」って、エジプトに引っ越したのは自分たちでは?と。
子どもの頃「かっこいい歌だ」と思っていた歌詞がこんなにツッコミどころ満載だったとは。
王国の成立
12部族の連合
ヨシュアは征服戦争で勝利しました。
ヨシュアの時代の遥か昔、アブラハムのひ孫が12人いました。
ヨシュアは、この12人の家系をそれぞれ独立させて土地を分配し、部族連合として統治しました。
部族連合から王国へ
12部族は周囲からの脅威があった時には連合していましたが、次第に即席の連合では太刀打ちできないくらい敵対勢力が強まってきました。
そうなると、強い指導力をもつ王のもとで王国をつくる必要がでてきました。
そこで頭角を現したのがベンヤミン族のサウルでした。
サウルはイスラエル王国の初代王ではありましたが、実力が不足していて国をまとめあげるまではいきませんでした。
ダビデ王の時代
ペリシテ人との戦い
この地にすでに他所から移動して定住していた民族にペリシテ人がいました。
イスラエル人は自分たちの領土を獲得するためにペリシテ人と戦わなくてはいけませんでした。
ですが、ペリシテ人には最強の戦士・ゴリアテがいてとても手ごわい敵でした。
このゴリアテと対決し勝利したのが、ダビデです。
ダビデはこのことで人望を得て、サウルとは血縁関係がないにもかかわらず、サウルをついで2代目王になりました。
ダビデとゴリアテ
ダビデがゴリアテと対決し勝利した物語は次のようなものです。
まだ羊飼いだったダビデ少年は兄に食料を届けるため戦場に行きました。
そこでゴリアテがユダヤ人を挑発してきました。
ゴリアテは巨人で誰も立ち向かえずにいたところ、ダビデが「自分は神の名のもとに戦うのだ」と挑みました。
巨人ゴリアテに対するダビデ少年の武器は石でした。
50センチほどの二つ折りにした布の先端に石をいれ、ハンマー投げのようにぐるぐるとまわして遠心力で強く遠くに飛ばします。
石はゴリアテの額を直撃しゴリアテは倒れ死にました。
この戦いは「ダビデとゴリアテ」として聖書でも名場面の一つで、絵画など芸術でも表現されています。
超有名なミケランジェロ作のダビデ像はダビデがまさにゴリアテに石を投げつけようと狙っているところです。
この投石方法は実用的で、1987年のインティファーダでパレスチナの若者がイスラエル軍に投石する際、このやり方が実際に用いられました。
そして、その状況はパレスチナ人をダビデに、イスラエル軍をゴリアテに例えられ「ダビデとゴリアテの再来」といわれました。
「インティファーダ」についてはこちら >>>
サウルの死後、ダビデが王になりました。
ダビデの功績
ダビデのポイントとなる功績は二つあります。
一つめは、首都をエルサレムに定めたこと。
もともと暮らしていた人々を征服して首都にしました。
二つめは、契約の箱を安置したことです。
契約の箱といえば、ユダヤ民族がカナンの地に向かおうとヨルダン川を渡る時、先頭を進んだら、ヨルダン川が干上がって通れるようになった、あの契約の箱です。
その中には授かった十戒が刻まれた石板が入れてありました。
ダビデは勇猛な王として人気が高く、現在もエルサレムにダビデが埋葬されているとされるダビデ廟があり、信者が礼拝に訪れています。
掛けられている布はいくつかの種類があり、下のものはダビデの盾がモチーフとされるダビデの星があしらわれています。
この星マークは現在のイスラエル国旗に用いられています。
ソロモン王の時代
ダビデが亡くなると、その子ソロモンが3代目王になりました。
ソロモンは智恵者で商業を重視する王で、この時代は軍事的にも経済的にも文化的にも繁栄し「ソロモンの栄華」といわれます。
ソロモン王の大きな功績として神殿と宮殿の建設が挙げられます。
ダビデが安置した契約の箱を納める神殿が必要だったのです。
宮殿は王の住まいであり、外交の舞台・迎賓館でもありました。
イエメンからシバの女王も訪れたそうです。
ソロモンが死ぬと、王国も衰退の道をたどることになります。
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2019.07.23
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