自己責任2018年版
「無事救出された」のニュースに触れた時、手を打って心から「よかった!」という気持ちが沸いてきました。
安田純平さんとはまったく接点はありませんが、行方不明になって以降、関係ないなりに時折思い出される事件でしたので嫌なニュースでなくて本当にほっとしました。
自己責任
安田さんはフリーカメラマンですから、現場に行って撮影して報じることが仕事です。
組織所属のジャーナリストだったら会社の方針で行けないところでも、自分の判断で行くも行かぬも決断することができます。
今回も外務省からの度重なる勧告を振り切ってシリアに入ったということがわかっています。
そこで再び浮上してきたのが「自己責任」のことばです。
自己責任は、2003年(平成15年)に勃発したイラク戦争のただなかの2004年に「イラクのこどもたちを支援する」とイラクに向かった三人の日本人が武装グループによって人質にとられた事件の際、多く使用されたことばです。
「お上(日本政府)が止めてるのに、素人が丸腰でのこのこ戦場に何をしにいったのか。なにかあっても自業自得、自己責任として救出にかかった費用は負担せよ。」といった調子が主だったところだったと思います。
2003年、2018年「自己責任」を比較する。
あれから15年、再浮上した2018年の自己責任ということばは2003年当時よりも付き付ける切っ先の鋭さは鈍いように感じます。
「『チキン国家』と批判した国家に助けられてるじゃん」「救出にいったいいくらかかったんだろう」という声は出ているものの、束になって押し寄せる感じはないようです。
当時は存在しなかったSNSが使われていることで、賛否を自由に投稿できる環境があることが今回は”ズラシ”の作用を及ぼしているようにも見えます。
それから、もう一つ時代の背景が変容していることがあるのではと思います。
2003年の頃は小泉内閣発足4年目でいわゆる「構造改革」の波で「格差社会」の到来がいわれていたものの、まだ政府や組織への信頼は存在していました。
リストラされなかったり勢いのいい外資に身を置けたら「勝ち組」、そうでなかったら「負け組」という分類も生まれていました。
そういった風潮を背景に、自己責任ということばは、それを問う側は勝ち組、問われる側は負け組の感じを漂わせることばでした。
これにたいし2018年の日本をみると、忖度による政治の蔓延、提訴中だからといって口利き疑惑を説明しない大臣、次々に明るみに出る一流メーカーによるデータ改ざん等々、これまで「勝ち組」とされてきた側が誰も自己の責任を果たさずにきてしまっていることが白日の下にさらされ始めています。
一方で、インターネット上では個人一人の力でマネタイズを成功させたり、インターネットモールの運営会社が民間のロケットを貸し切って月旅行を計画したり、まさに自己責任でビジネスを展開することが普通の時代になっています。
既存組織のシステムは崩壊し、個人で生きる力が求められている時代だといえます。
そういった時に自己判断でシリア入りすることも「まあ、アリ」ととらえられるようになっているのかもしれません。
それだけ他人に関心を持たなくなっているということなのかもしれませんが。
報告・分析を。
今回その結果として多大なる人手と経費が費やされたことは確かです。
トルコがサポートしてくれた、カタールが力を貸してくれたという国際関係の一端がみられ、今後の日本の国際政治外交・経済関係に影響もあるでしょう。
3億円の身代金が払われたのかどうかはわかりませんが、そう報じられただけで払ったと思われるでしょう。
国民の一人としては「安田さん、ゆっくり休んだらまた危険地帯に行ってね」とはいいません。
信念とは逆の事態を自身が引き起こしてしまったことには誰よりもご自身が慙愧の念に堪えないことと想像します。
安田さんは経験豊富なプロカメラマンとして事前の準備は怠りなくなさったに違いありません。
それでも誘拐という事態になってしまったのはどこに穴があったのか、考え違いがあったのか、この点を含め今後ジャーナリストとしての報告と分析を待ちたいです。