本田圭佑選手 カンボジア「代表監督」を勝手に応援。
本田圭佑選手は2018年夏にオーストラリアのメルボルン・ビクトリーに移籍しました。
そして驚いたことに、カンボジアの「実質的」監督に就任したことが報じられました。
選手と監督の二足のわらじをはきさらに、2020年オリンピックではオーバーエイジ枠での出場をも狙うといいます。
目次
本田圭佑選手が所属したチーム
本田選手は星稜高校卒業後、名古屋グランパスエイトに入団。
|3年後
オランダのVVVフェンロ。
|2年後
ロシアのCSKAモスクワ。
|4年後
イタリア・セリエAのACミラン。背番号はエースナンバーの10番をつけました。
|3年後
メキシコのCFパチューカ。
そして、1年後の2018年オーストラリアのメルボルン・ビクトリーという非常にチャレンジングでプロフェッショナルなサッカー道を走り続けています。
しかし、本田選手も32歳、ワールドカップロシア大会終了後には「僕自身にとって、ワールドカップはこれが最後になる。」と話しセカンドキャリアへのステップを予感させ、飛び出したのが、このちょっと誰も予想できない展開だったのです。
ビジネスマン本田圭佑誕生?
本田選手は既にカンボジアでサッカークラブ経営も手掛けていて、ビジネスへの関心も高めていることが報じられています
カンボジアの首都プノンペンで行われた就任会見では「サッカー以外のカンボジアの素晴らしいところを世界に伝えていくことも私の使命だと思っています。」と語っています。
人生100年時代といわれる今、メインの仕事と関連したセカンドキャリアを志向する本田選手をサッカー以上に応援したいと思います。
そこで、勝手に後方支援、ケイスケホンダが注目したカンボジアってどんな国なのかをまとめました。
カンボジアってどんな国?
1.カンボジアってどんな国?
-1 まずは場所
ベトナムとタイにはさまれています。
湾に面していて、平野が多くメコン川が流れ、国の3割が農地で米の収穫がメインです。
-2 本田選手が活躍した国比較
本田選手が所属したチームの国とカンボジアを比べると。
◎FIFAランキング
◎経済のイケイケ度(実質GDP成長率)
IMF,2018年データ。
近年どの国も伸び悩み、いって3%、日本は1%に満たないなか、カンボジアは7%を超える勢いで成長していてイケイケです。
◎経済の総合力(名目GDP総額)
国の経済規模を表す指標です。
アメリカが19兆ドル、中国が12兆ドル、日本が4.8兆ドルに対し、カンボジアは200億ドルです。
-3 観光スポット
アンコールワット
9世紀初頭から15世紀までカンボジアはアンコール王朝によって治められていました。
アンコール朝時代はヒンドゥー教や大乗仏教の寺院が盛んに建立されました。
その遺跡群がアンコール遺跡です。
2004年に世界文化遺産に指定され大観光名所になっています。
アンコール遺跡はいくつもの建造物からなっていて、その中で最も有名な遺跡がアンコールワットです。
2.日本との関係
-1 日本との貿易
◎日本への輸出額
年々右肩上がりに増加しています。
衣類が67%を占めます。
◎日本からの輸入額
こちらも年々右肩上がりに増加しています。
4割が機器、機械です。
-2 カンボジアと日本人
近年のカンボジアと日本人といえば、猫ひろしがいます。
お笑い芸人で、オリンピックのマラソンに出場したいとカンボジアにわたり、2011年カンボジア国籍を取得しました。2016年には念願かなってカンボジア代表としてリオオリンピックに出場し139位の結果を収めています。完走者のなかで下から2番目でした。
その後も国籍を戻すなどの話は報道されませんので2020年の東京オリンピックに乗りこんでくるのかもしれませんね。
カンボジアと関係の深い日本人で忘れてはいけない方が二人いらっしゃいます。
国際連合ボランティアの中田厚仁さんと警察官の高田晴行さんです。
お二人とも、1993年にカンボジアで殺害されました。
お二人はなぜカンボジアにいたのでしょうか。
-3 日本の国連PKOカンボジアへ
お二人ともカンボジアの平和構築を援助する目的で派遣されていました。
その頃カンボジアは二十数年続いた内戦で大混乱の状況にありました。
1991年、国連が仲介しようやく和平が成立しました。
和平が成立したからといって、すぐに混乱状態が解消されるわけではありません。
次の新しい国ができるまでの間、国連から”助っ人”を出すことになり、日本からも国連の一員となる人員を派遣することになったのです。
日本からは自衛隊、警察官、選挙監視要員の方々が派遣されました。
警察官の高田さんは国連PKOに参加する警察官として、中田さんは新生カンボジアで最初に行われる総選挙の監視要員として派遣されたのです。
派遣される際日本では、カンボジアは停戦となっていて戦闘の危険性はない、とされていました。
この認識のうえで、警察官、選挙監視要員は武器の携帯も防護の装備もなく、生活するうえでの電気・水道などの基本的な準備を誰が行うこともなく、派遣されました。
しかし実際は違っていました。
警察官らが派遣された地区はまだまだ内戦はくすぶっていて、銃弾・ロケット弾が飛び交う戦場そのものだったのです。
通信もままならない場所に身一つ置かれ、結果、任務中に武装ゲリラの銃弾に襲われ亡くなったのです。
しかし当時は具体的状況については明らかにされませんでした。
詳細が一般に知られるようになったのは2016年8月13日にNHKで放送された番組「ある文民警察官の死 ~カンボジアPKO 23年目の告白」によってです。
これまで口を閉ざしていた当時派遣されていた方々がインタビューに答え当時の状況を証言したもので、文民警察の活動の実態、高田さんが亡くなった時の状況が明らかにされました。
これはご家族もご存知なかったのだそうです。
この番組を制作したディレクターの旗手啓介さんが執筆した本『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』が2018年1月18日に出版されました。
表紙の写真、本を読む前と読んだ後で全く違って見えます。
3 カンボジアの今
2018年7月にカンボジアでは総選挙が行われました。
結果、与党の勝利となりましたが、国際的に選挙の公正性を疑問視する声もあがっています。
日本は投票箱の提供などの支援はしたものの、選挙監視団の派遣はしませんでした。
ただし、中国は現政権を擁護しています。
そんななか、日本のスター選手のカンボジア進出は影響力があると思います。
本田選手は代表監督としての報酬は受け取らないといいます。
サッカーであれ、ビジネスであれ本田選手の活動が、日本とカンボジアの関係をさらに深めていってくれるといいなと思います。