なぜウィーン?

シリーズ 2分でクラシック 30/93

モーツアルトは生まれたザルツブルクから、ウィーンに出ました。
ベートーベンも生まれたボンから、ウィーンに出ました。

なぜウィーンなのでしょうか。

キーワードは「ハプスブルク帝国」です。
ハプスブルク帝国はハプスブルク家の君主によって統治されていた国家です。
もとはスイスの小貴族にすぎませんでしたが、1273年にドイツ王国の統治者となったことを最初のきっかけに勢力を拡大し、各地を支配・統治・干渉しヨーロッパ一の隆盛を極めました。

そのハプスブルクの事実上の首都がウィーンだったのです。

1541年最盛期の頃にはメキシコ、キューバ、ペルー、フィリピンまでも支配領域としていましたが、それから約200-300年後のモーツアルトやベートーベンの時代には領土も縮小し勢力も下降していました。
とはいえ、くさってもハプスブルクということで、音楽はまだまだふんだに作曲されていたのです。

プチ・クエスチョン

Q1. ハプスブルク帝国最盛期の皇帝はだれでしょうか。

A.
カール5世touch

肩書は

朕カール5世、神の恩寵によるローマ人の皇帝、いかなる時も帝国の拡大者、ドイツ、カスティーリャ、アラゴン、レオン、両シチリア、エルサレム、ハンガリー、ダルマチア、クロアチア、ナバーラ、グラナダ、トレド、バレンシア、ガリシア、マジョルカ、セビーリャ、サルディーニャ、コルドバ、コルシカ、ハエン、アルガルベ、アルヘシラス、ジブラルタル、カナリア諸島、カリブ海諸島、大西洋中の国々等々の王、オーストリア大公にして、ブルゴーニュ、ブラーバント、シュタイアーマルク、ケルンテン、クライン、リンブルク、ルクセンブルク、ゲルデルン、カラブリア、アテネ、ネオパトリアそしてヴュルテンベルク等々の公、ハプスブルク、フランドル、ティロール、ゲルツ、バルセロナ、アルトワ、フランシュ=コンテの伯、エノー、ホラント、ゼーラント、フェレット、キーブルク、ナミュール、ルシヨン、サルダーニャ、ズトフェンの宮中伯、アルザスの方伯、ブルクアウ、オリスターノ、ブルグシオの辺境伯、シュヴァーベン、神聖ローマ帝国のシュヴァーベンの候、カタルーニャ、アストゥリアス等々の候、フリースラント、ヴィンディッシュ・マルク、ポルデノーネ、ビスケー、モリナ、サラン、トリポリそしてメヘレン等々の領主

だそうです。

今日の1楽章は
ベートーベン交響曲第6番2楽章

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「さびから入門クラシック」

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