そうだ、平和条約結ぼう

9月12日極東ウラジオストクでの国際会議「東方フォーラム」の公開討論の場でロシアのプーチン大統領が「今思いついた。平和条約を前提条件なしで結ぼう」と突然発言しました。
この後、安倍首相はプーチンと1対1で北方領土問題を解決して平和条約を締結するのが日本の原則だと反論したといいます。
そんなことを、なぜ今さら念押ししないといけないのか、経済協力の話ばかり進めていて、なめられてますやーん、ということはさておき。
最近、北朝鮮でも平和条約の話が出ています。

平和条約とは何なのか、どういった時に締結するのかをまとめました。

平和条約とは

戦争をしていた国同士が平和な関係に直ることを講和といいます。
この講和の内容を書いたものが講和条約で平和条約ともいいます。
講和条約は領土問題、賠償金、戦争犯罪、請求権の処理、占領の終了など全ての懸案事項が解決されていなければ結べません。

「全て解決」の場合は講和ですが、「未解決の問題がありながらも戦うのはやめよう」といった場合は休戦で、休戦条約が結ばれます。

日本はどこと平和条約を結んでいるの?

日本が平和条約を結んだのは第2次世界大戦後です。
第2次世界大戦で日本は枢軸国としてドイツ、イタリアなどと一緒にアメリカ、イギリス、ソ連、中国など52カ国と戦いました。

日本は1945年9月に降伏協定に調印し、戦闘状態はなくなりましたが、アメリカに占領されていて、本当の意味で戦争は終わっていませんでした。
本当の意味で終結させ、アメリカの占領下でなくなり日本国として立ち直った際に結ばれたのが1951年のサンフランシスコ講和条約です。

1945年9月2日降伏文書調印。東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ上で。中央で署名を行っているのは重光葵外務大臣、その左後方が加瀬俊一。

1951年9月8日サンフラン平和条約署名。署名しているの吉田茂と日本全権委員団。

ロシアとはなぜ結んでいないの?

この当時、ロシアはソ連でした。
ソ連はサンフランシスコ講和条約には調印していません。
第2次世界大戦後、戦後をどうするかという問題についてアメリカとソ連は対立しました。
冷戦状態が始まっていたのですね。
アメリカは日本を独立させて日米関係を築こうとの考えで講和条約を進めたので、講和条約調印の時に日米安全保障条約も調印したのです。
これに対しソ連は拒否したのです。

日ソ共同宣言

1953年にソ連の指導者であったスターリンが死亡すると、冷戦がちょっと和らいできました。
その流れで、日本とソ連は1956年12月に日ソ共同宣言を行い戦争終結を確定しました。
これにより日本は国際連合へ加盟、シベリアに抑留されていた日本人が帰国するなど、国交が回復しました。
あと残るは領土があります。
領土問題に関しては当初、平和条約の締結後に歯舞・色丹を日本に引き渡すとなっていました。
ところが、その後1960年に新日米安全保障条約が成立すると、「アメリカ軍があるうちは歯舞・色丹も渡しません」と態度を変えたのです。
それ以降ソ連は領土問題は解決済みとしていたため、平和条約には発展しないでいます。
2000年に大統領になったプーチンは日ソ共同宣言の有効性を認めています。

平和条約の締結後

今回、プーチン大統領は1対1で安倍首相と話した時に「中ロ間では平和協定締結後に未解決の国境線を画定したので、同様の提案をした」と説明したそうですが、「締結後に」というのはこれまでの繰り返しの感じしかしません。

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