【歴史地図】ウクライナとポーランド
ポーランドはウクライナからの避難民を多く受け入れています。
ポーランドとウクライナは歴史上、支配被支配の関係にありましたが、対ロシアという面においてはともに支配下を経験したという歴史があるのです。
目次
①ウクライナ、ポーランドに支配される。
13世紀、ウクライナとロシアの元祖「キエフ・ルーシ」はタタール人(モンゴル人)に支配されました。
キエフ・ルーシ最大
タタール人支配
タタール人の影響が弱まると、リトアニアが拡大してきます。
リトアニア拡大
16世紀、ポーランドが拡大し、リトアニアは事実上ポーランドに吸収されます。
ポーランド拡大
②ポーランド、分割され8割がロシアになる。
18世紀、ポーランドはロシアをはじめ、周辺国から干渉をうけ、ついにロシア、オーストリア、プロイセンに3分割されました。
ポーランド分割
③ポーランド復活
ポーランドが再び独立するのは、第1次世界大戦後のことです。
ウクライナ応援シリーズ
ウクライナの歴史とクラシック音楽。ウクライナに関連する交響曲は多くあります。チャイコフスキー交響曲第2番『小ロシア』の小ロシアはロシア側からみたウクライナの呼称。辺境の意味がある。ウクライナはたんに「土地」の意味だとしている。
ウクライナの首都キエフは、歴史的にロシアの発祥です。キエフが重要な都市であったことは、作曲家がテーマにとりあげていることでわかります。その1つに。ムソルグスキー作曲『展覧会の絵』の1場面「キエフの大門」があります。ウクライナの賢公が設けた門です。
チャイコフスキー作曲のオペラ『マゼッパ』の主人公マゼッパは、ウクライナの独立をめざすコサックの指導者です。コサックはウクライナの地を外敵から守るために結成された自警団。コサックの地をウクライナとよぶようになりました。