チャイコフスキー、クリミア戦争がなかったら?

シリーズ 2分でクラシック 43/93

チャイコフスキーのロシア

チャイコフスキーは1840年に生まれ1893年に亡くなっています。

この頃のロシアはどのような時代だったのでしょうか。

ロシアはナポレオン戦争でナポレオンを撃退した後、ウィーン会議に参加し、ワルシャワ大公国、ポーランドと領土を拡張しました。

その後も周辺を侵食していきました。
弱体化してきたオスマン帝国領域、イギリスとアヘン戦争を戦い疲弊した清、中央アジアなどに乗り出し条約を結び領土を獲得していきました。

その一環でクリミア半島を舞台にオスマン帝国と戦ったクリミア戦争では、トルコ側にイギリス・フランスがついたこともあり、ロシアは敗退、利権が縮小することになりました。
1853-1856年のことでした。

これにより、ロシアの皇帝アレクサンドル2世は、これまでの皇帝による専制政治では世界に勝てないと政治改革を決意します。

領主に支配されながら農業生産に従事していた農奴のを解放して自由な身分にする「農奴解放令」が1861年に発令されました。

農村では独立自営農民が生まれ、都市の知識人階級(インテリゲンツィア)も解放政策を推進しました。

さて、チャイコフスキーが本格的に音楽を学び始めるペテルブルグ音楽院が創立されたのが1862年、教師として就任するモスクワ音楽院が創立されたのが1866年です。


1840年 チャイコフスキー誕生

1853-1856年 クリミア戦争。ロシア敗退。


1861年 農奴解放令


1866年 チャイコフスキーモスクワ音楽院の教師に就任。交響曲第1番『冬の日の幻想』作曲


1893年 チャイコフスキー死去


1895年 レーニン「労働者階級解放闘争同盟(英語版)」結成


チャイコフスキー登場以前にもロシアの交響曲は存在していたものの「交響曲はやっぱりヨーロッパだよね」という考えはありました。
ヨーロッパ音楽を基礎におきつつロシア調につないでいくというのがロシアの作曲家には課せられていたといいます。

制度改革で農奴から農民へと国が大きく転換点していく時代、そしてレーニンの登場へ、という時代にチャイコフスキーの音楽は誕生したのです。

プチ・クエスチョン

Q1. チャイコフスキーと同時代で、ナポレオン戦争時のロシアを描いた大河小説があります。
そのタイトルと作者は?

A.
『戦争と平和』トルストイtouch

今日の1楽章は
チャイコフスキー交響曲第2番【小ロシア】2楽章

さびメロディーをまとめて聴くのはこちら
「さびから入門クラシック」

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