ベートーベンの処世術

ウィーン会議の様子

シリーズ 2分でクラシック 41/93

ベートーベンとウィーン会議

ベートーベンはナポレオンに【英雄】を献呈せず、ハプスブルク帝国関係者のパトロンと関係を続けました。

その後のナポレオンの動向とベートーベンの活動を年表でみてみます。


1807年 ナポレオン、イベリア半島出兵
ベートーベン、交響曲第4番初演。パトロンはシュレージェン地方の貴族。


1808年 スペイン軍、フランス軍に反旗、フランス降伏。
ベートーベン、交響曲第5番、交響曲第6番初演。パトロンはボヘミアの貴族・ロブコヴィッツ侯爵とロシアの貴族・ラズモフスキー(両曲とも)。


1809年 オーストリア・ハプスブルク、再びナポレオンに反撃。
ナポレオン2勝、オーストリア1勝。


1812年 ナポレオン、ロシア遠征。フランス軍大敗。


1813年 スペインのビトリアの戦いで、ウェリントン侯爵率いるイギリス軍がフランス軍に勝利。
ベートーベン、交響曲第7番初演、ウェリントンの勝利初演。
第7番のパトロンはオーストリアの銀行家。ウェリントンの勝利はイギリス摂政ジョージ。


1814年 ナポレオン、コルシカ島、エルバ島に追放。
ウィーン会議開始。

ベートーベン、交響曲第8番初演。パトロンはオーストリアの貴族・ルードルフ大公。


1815年 エルバ島脱出、フランスへ帰還。
復活して再び帝位につくが、イギリス、オランダ、プロイセンと戦い敗戦、フランス軍は崩壊。
ナポレオンはセントヘレナ島へ島流しに。
ウィーン会議終了。


1824年
ベートーベン交響曲第9番初演。パトロンはプロイセン国王フリードリヒ・アレクサンドロヴーナ。


ここで、注目は
・第5番、第6番のパトロンのラズモフスキー
・ウェリントンの勝利のイギリス摂政ジョージ
・交響曲第9番のプロイセン国王フリードリヒ・アレクサンドロヴーナ
です。
これらの人物は、ウィーン会議のなかでの重要人物です。
ウィーン会議はナポレオン後のヨーロッパをどう再構築するかを決めるために関係諸国のTOPが集まって行われた会議です。

特にラズモフスキーはロシアの外交官でウィーンに駐在していた音楽愛好者で、ベートーベンに弦楽四重奏も依頼しています。

ベートーベンは、全盛期のナポレオンに新規営業をかけなかったことで、旧来のお客さん・ハプスブルクと繋がりながら、ウィーン会議という新しい時代を創る人脈も手に入れ、パトロンのシフトチェンジに成功したといえましょう。

書き換えていなかったら、第9までは生まれていなかったかもしれません。

1813年、ナポレオンの衰退を目前に「ウェリントンの勝利」の初演ではベートーベン自身がタクトを振ったといいます。
ベートーベンの「やー危なかったわー。なんとかなったわー」とホットしながら軽やかに演奏した様子がめにうかぶようです。

今日の1楽章は
ベートーベン交響曲第7番3楽章

さびメロディーをまとめて聴くのはこちら
「さびから入門クラシック」

関連記事一覧