新説!ベートーベン【英雄】表紙が書き換えられたその理由

交響曲第3番の清書譜の表紙(ウィーン楽友協会蔵)

シリーズ 2分でクラシック 39/93

ベートーベンとナポレオン

ベートーベン交響曲第3番【英雄】についての定番のエピソードがあります。

ベートーベンは当初ナポレオンに捧げることを念頭に表紙に「ボナパルトへ。ルイジ・ヴァン・ベートーヴェン」という献辞を書いた。
しかし、ナポレオンが皇帝の座に就いたことを知り、ベートーベンは激怒し表紙に書かれていたナポレオンへの献辞とタイトルを削り取ってしまい、新たに「ある英雄の思い出をまつる」曲としてイタリア語で「シンフォニア・エロイカ(英雄交響曲)」と記した。

というものです。

これは本当でしょうか。

この筋書きだと
・ベートーベンは下級軍人から駆け上って旧体制の国々を崩壊に追いやったナポレオンに敬意を抱いていた、
・しかし、ナポレオンが皇帝になり体制側となったので、裏切られた気持ちになり怒った。
ということになります。
つまりベートーベンは一般市民を応援していたという理解になります。

ベートーベンは貴族が支配する体制を崩し市民が平等に暮らせる国を理想と考えたのでしょうか。
ここが疑問です。
ベートーベンは音楽を仕事にしようとウィーンに来ています。
音楽を仕事にするには、支援が必要です。
貧乏な市民は音楽にお金を払ったりしませんから、お金持ちがいなければベートーベンは食っていけません。
その状況で、お金持ち貴族の崩壊を望むでしょうか?
ベートーベンは、故郷のドイツ・ボンの選帝侯にオーストリアのハプスブルク家を紹介してもらってウィーンに留学生としてきました。

ナポレオンのフランス軍は、イギリス、ロシアそしてオーストリア・ハプスブルクを敵としています。

『地図で読む世界史』実務教育出版より

ベートーベンがウィーンに来た時期と、ナポレオンが遠征を開始した時期はおおまか重なります。
ベートーベンがウィーンにきたのが1792年、ナポレオンが最初の遠征・イタリアに出たのがその5年後の1797年です。

ベートーベンの交響曲の作曲時期とナポレオンの動きを年表で見ます。


1792 ベートーベンウィーンへ。


1797年 ナポレオンイタリア遠征
ナポレオン軍、オーストリア・ハプスブルク軍に勝利。
フランス ×オーストリア・ハプスブルク


1798年 ナポレオンエジプト遠征
「ピラミッドの戦い」
フランス ×オスマン帝国
「ナイルの海戦」
×フランス イギリス


1799年
オーストリア、北イタリア奪回。
×フランス オーストリア・ハプスブルク


1800年 第2次イタリア遠征
フランス軍、オーストリア軍撃破。
フランス ×オーストリア・ハプスブルク
ベートーベン交響曲第1番初演。パトロンはオーストリアの男爵。


1801年 ナポレオン、フランス革命で関係が悪くなっていたローマ教会と和解。
フランス、オーストリア・ハプスブルク講和


1802年 「アミアンの和約」フランス、イギリス講和


1803年 イギリス、フランスへ宣戦布告。
ベートーベン交響曲第2番初演。パトロンはドイツの侯爵。


1804年 ナポレオン、国内での幅広い支持を受け、国民投票により皇帝に即位。ローマ教皇立ち合いのもと戴冠式を挙行。


1805年 フランス対オーストリア・ロシア
「アウステリッツの戦い」
快勝 フランス軍 ×オーストリア・ハプスブルク、ロシア
オーストリア、フランスに屈服。
ベートーベン交響曲第3番【英雄(ボナパルト交響曲?)】公開。パトロンはボヘミアの侯爵。


交響曲第3番【英雄】が作曲されたのは1804年12月です。
第2番が作曲されたのが、1803年なので、その後すぐにとりかかったことが想像できます。

その頃までの戦歴はナポレオンのフランスとオーストリア・ハプスブルクはフランスの2勝1敗で、1801年には講和しています。

ところが、1805年に再びナポレオンとオーストリア・ハプスブルクは戦います。
そして、ここでナポレオンが完勝します。

ベートーベンはこれをどのように見ていたでしょうか。

 

戦争が始まり、ベートーベンは

ハプスブルクも危ういなぁ、新しいお客さんを開拓しなくっちゃな。

と焦っていたかもしれません。
そうこうしていると1801年にオーストリア・ハプスブルクはフランスと講和します。

おお。新支配者はナポレオンになったか。一つご挨拶に1曲献呈しておこう。

と新曲の献呈を決めたのかもしれません。
すると、なんと1805年に両者は決別し戦争になります。

やっべー。また敵と味方か。
ハプスブルクは落ち目とはいえ最重要顧客には違いない。
それにたいしてナポレオンは音楽に果たして興味がある人なのか、わからない。
ここはハプスブルクを手放すわけにはいかない。
ナポレオンに献呈したことがわかったらハプスブルクに顰蹙をかってしまう。証拠を消さなければ。
オーストリア・ハプスブルクが一度ナポレオンに奪われたイタリアを奪回したじゃない?それを祝う曲っていうことで。だからタイトルもイタリア語にした。

ということで、表紙を書き換えたのではないか、と思うのです。

事なきを得て、この曲にはハプスブルク帝国領内ボヘミアの伯爵がパトロンとなります。

ベートーベンの生計と、ナポレオン戦争は自由と平等の理念をかかげたとはいえ結局は征服戦争で、ベートーベンだって気づいていたに決まっているでしょう、という面から見た推理でした。

今日の1楽章は
ベートーベン交響曲第3番【英雄】1楽章

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「さびから入門クラシック」

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