ハプスブルク帝国が勢力拡大した、そもそも

シリーズ 2分でクラシック 32/93

ハプスブルク帝国が勢力を拡大したのは1273年にドイツ王国の統治者となったことがきっかけでした。
では、なぜドイツ王国の統治者になると力を持つことになるのでしょうか。

それを解くキーワードは「神聖ローマ帝国」です。

ドイツ王国の王になること=「神聖ローマ帝国」皇帝になること。
でした。
これがヨーロッパでは大変な権威なのです。

なぜ権威なのでしょうか。

それは「神聖ローマ帝国」と名の付くとおり、ローマ帝国時代からの話になります。

ローマ帝国時代の4世紀、キリスト教はローマ帝国に公認されて国教となったことでローマ帝国全土へ拡大し、一気に勢力を強めました。
ですが、ローマ帝国は衰退します。
西と東に分裂し、やがて滅亡していくのです(西ローマ帝国が滅亡したのは476年、東ローマ帝国が滅亡したのは1453年)。

ローマ帝国の東西分裂

しかし、「ローマ帝国」「ローマ皇帝」の権威は続いていました。

ヨーロッパではローマ帝国滅亡後さまざまな勢力が進出しますが、現在の、ドイツ、フランス、イタリアの形が見え始めたのは843年の「フランク王国の分裂」です。

フランス、イタリア、ドイツの元祖

ドイツの元祖東フランク王国は、ローマ帝国の復興をめざしていて、ローマ教皇の領土に侵攻してきた勢力を撃退し、ローマ教皇を救いました。
これを称え、962年ローマ教皇は東フランク王に帝冠をさずけました。

これにより、東フランクの王はローマ教皇”お墨付き”の皇帝となったのです。

そしてこの領域は神聖ローマ帝国とよばれるようになり、ドイツ王は神聖ローマ帝国皇帝と同意となりました。

神聖ローマ帝国は間もなく分裂し強大な統一国家ではなくなりますが、「神聖ローマ帝国皇帝」の肩書は名門のブランドとして依然として有効でした。

神聖ローマ帝国の変遷



ですので、ハプスブルク家がドイツ王となり神聖ローマ帝国皇帝となったということは上り詰めるところまで来た。ヨーロッパでの権威を手にしたということになったのです。

1438年にハプスブルク家が神聖ローマ帝国の帝位を独占して以降、神聖ローマ帝国の皇帝=ハプスブルク家となりました。

18世紀中ごろのハプスブルク帝国と神聖ローマ帝国

領土としては神聖ローマ帝国全土を制覇しているということではありません。

今日の1楽章は
モーツアルト交響曲第31番【パリ】2楽章

さびメロディーをまとめて聴くのはこちら
「さびから入門クラシック」

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