ベートーベンの”遺書”

シリーズ 2分でクラシック 25/93

ベートーベンの逸話には有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」があります。
ハイゲンシュタットはウィーンにある地名で、温泉地でした。
ベートーベンは難聴を患っていて、湯治に訪れていました。
そこで弟と甥に向けて書いた手紙がそう呼ばれています。

「ハイリゲンシュタットの遺書」手紙の最初のページ 1802年10月6日

「ハイリゲンシュタットの遺書」は2通あるのです。
10月6日付で弟のカルルに宛てたものと、10月10日付で別の弟ヨハンに宛てたものです。

“遺書”とされていますが実際は遺言状的なものではありません。
6日付のものは難聴が悪化していく絶望をぶつけ、10日付のものでは音楽家としての決意や未来への希望とも読める部分もあるといった内容になっています。

頭木弘樹・NHKラジオ深夜便制作班著『絶望名言2』(飛鳥新社)で絶望名言が紹介されていますので、引用します。

希望よ、悲しい気持ちで、おまえに別れを告げよう。
いくらかは治るのではないか、
そういう希望を抱いてここまで来たが、
いまや完全にあきらめるしかない。
秋の木の葉が落ちて枯れるように、
私の希望も枯れた。
ここに来たときのまま、私はここを去る。

不機嫌で、打ち解けない、人間嫌い。
私のことをそう思っている人は多い。
しかし、そうではないのだ!
私がそんなふうに見える、
本当の理由を誰も知らない。
私は幼い頃から、情熱的で活発な性質だった。
人づきあいも好きなのだ。

「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれたのは1802年です。
ベートーベンは1770年生まれで27,28歳の頃から難聴が始まって、30歳の頃にはほぼ聴こえなくなっていたといわれていますので、まさに絶望の真っただ中だったと想像できます。

この手紙の翌年に2番を作曲しています。

=ベートーベン・ミニ年表
1770年 誕生。
1797,98年 耳が聴こえなくなってきた(27,28歳)。
1800年 交響曲第1番作曲
1802年 「ハイリゲンシュタットの遺書」。”絶望編”10月6日付、”希望編”10月10日付。
1803年 交響曲第2番作曲


今日の1楽章は
ベートーベン交響曲第2番1楽章


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「さびから入門クラシック」

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